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馬良(マー・リャン)

PEOPLEText: Hiromi Nomoto

どのようにしてアーティストになったのですか?

始めた頃はどうしたらいいか分かりませんでした。アーティストになろうとしたが、アーティストが何をするのか誰も教えてくれないし、誰も私を手伝ってくれません。美術から離れて9年です。学校の先生も遠い存在で、美術に関わる全てのものから遠く離れてしまいました。キュレーター、ギャラリー、美術館も知りません。どのようにアーティストになったらいいのか分かりませんでした。そこで私が考えたたった一つの方法が、ネット上で(作品を)発表することでした。若者は駆け出しのころはチャンスが少ないのです。ネットは平等です。私はホームページを作りました。まるでプロのアーティストのホームページの様なとても真面目なものです。それに自分のポートレート写真と名前と経歴、自分の作品を一ヶ月ごとに細かく載せました。それから自分で書いた文章も載せました。毎日書きました。(あなたのように)インタビューをしにくる人もいません。でも自分の考えを発表したかった。「アートとは何か」「写真とは何か」。そういったことを載せました。いろいろな人が見ると考え、文章を英語に翻訳しました。あとで考えてみると、これは自分自身に対しての「アーティストになる」という心理的なリアクションです。

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ノスタルジア, No.06 / 2006

アーティストを始めて経過はどうでしたか?

数ヶ月経ちましたが絵を描けませんでした。あまりに酷い状態で、外に出て行きたかったのです。スタジオの中にいたくなかった。以前の仕事では毎日多くの人に囲まれていました。一人でキャンバスと対峙しましたが、どうしていいのか分かりません。そこでやはり写真だろうと考えました。写真は以前の私の仕事と似ています。有名なディレクターだったので、多くの友人が私を信用してくれました。私が真面目な人間であることと、私の撮る写真が素晴らしいものになることを信じてくれ、そして手伝ってくれました。プロの俳優、ファッションデザイナー、メイクアップアーティストなどが無償で手伝ってくれました。このような感じで撮影し始め、大体2年間このように撮影を続け、あるときは毎日撮影をして、家に帰って現像し、それをホームページで公開しました。誰かがそれを見てくれて「いいね!」とコメントしてくれて、私は「謝謝!」と返したり。毎日ネットで作品を公開しました。始めた頃は、「変だ」「写真作品ではなくスチール写真だ」などと人に笑われました。それでも情熱がありました。

しかしネット上では有名になっても、現実の世界ではギャラリーからのお誘いも来ないしお金もない。ネットでは英語のペンネーム“Maleonn”を使っているので誰がMaleonnなのか知る人がいません。

とうとうお金を使い切ってしまいました。しかし何も結果は出でおらず焦りました。広告の世界に戻る道もありましたが、思い切ってアーティストの道を続けることにしました。するとある日突然何もかもが上手くいくようになりました。

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鏡花水月, No.11 / 2011

なぜ全てが好転したのですか?

神様がそう準備していんだと思います。ある一点まで続けるとそこから良くなるように。外国からのインタビューや国内のインタビューも来て、多くのギャラリーが連絡して来て、経済的にもラッキーなことがありました。2006年の個展をしてから徐々にです。やっと普通の生活ができると思いました。

厳しい状態だった二年をどのように堪えたのですか?

その時々、それぞれに違った楽しみがあります。お金が無いときにあるものは、今は無くなってしまった自由な時間などです。(以前は)毎日誰にも呼ばれなくて一年365日たった一人。膨大な時間は全て映画を見たり本を読んでいました。今はやることが多過ぎます。インタビューや別の仕事、いろいろな事、イベントにも参加しないといけない。人生は良いときと良くないときがあります。あの時は自由だったのでいつでも旅行ができて、ネットで知り合ったアーティストに会いに行ったりしました。彼らはとても良くしてくれました。アーティストを続けられるかなんて分からなかったけれど、とても自由でした。今私は良い状況にありますが、たまにあの感じが恋しくなります。

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