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シブカル祭。2011

HAPPENINGText: Yu Miyakoshi

このところ元気な渋谷・原宿界隈で、渋谷パルコを拠点とし若手女子クリエイターばかり100人を集めた“文化祭”「シブカル祭。」が開かれた。

実行委員には「BEAMS」クリエイティブディレクターの青野賢一や「アッシュ・ペー・フランス」クリエイティブディレクターの米山えつ子、「UTRECHT」代表の江口宏志、「VACANT」代表の永井祐介などが参加している。自然発生的に盛り上がって来た様々なジャンルをいっしょくたに集めたこのイベントには、まさに「祭り」という名前が合う。

100人ものクリエイターが、渋谷のあの場所で——と考えると混雑も予想され思わずひるんでしまいそうだが、実際はこれまでのガーリームーブメントをダイジェストで見ることができる、すっきりした展示だった。それではこのお祭りの様子をほんの一部、お伝えしていきたいと思う。(敬称は省略)

シブカル祭。

まずは「BEAMS」がプロデュースする講座「School of B」と「シブカル祭。」によるコラボレーション企画のトークショーへ。この日は実行委員でもあるビームス創造研究所の南馬越一義がファシリテーターを務め、ゲストに、今年「拡張するファッション」を出版し、ファッションを始めとする様々なフィールドから信頼を集める林央子、翻訳家で「ガール・ジン」を出版し、自主制作出版物を扱うオンラインショップ「Lilmag」店主でもある野中モモ、「カラスボット☆ジェニー」や「生理マシーン、タカシの場合。」などの作品で知られる現代アーティスト、スプツニ子!を迎えトークを行った。

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左から野中モモ、林央子、スプツ二子!

トークは「90年代のガーリームーブメントとオルタナティブ」をテーマに、アンダーグラウンドの世界から普及してきたジン・カルチャーの話題を中心に展開。

ジンと呼ばれる簡単な小冊子(日本で言うミニコミ・同人誌)は、80年代にマーク・ゴンザレスなどのアメリカ西海岸のスケーターたちが、お気に入りの絵や写真などをコピーして作った冊子を周りの人に配ったことが始まりとも、50年代にサンフランシスコで詩人達が自分たちの詩をまとめて自費出版したことが始まりとも言われている。そのジンが大流行したのは90年代前半のアメリカでのこと。インターネットがまだ一般に普及していなかった当時、マスメディアにアクセスできない人たちが何かを伝えようとするため、あるいはコミュニケーションするために作り、人の手を介して広まっていった。

印象的だったのは90年代からジン・カルチャーを見つめ続けてきた野中モモが教えてくれた「ライオット・ガール」のエピソード。ライオット・ガールとは、90年代初頭、女の子だけのパンク・バンド周辺から巻き起こったフェミニズム・ムーブメント。当時、世間一般からは過激な運動という扱いを受けてしまったようだが、この女の子主導型のムーブメントが、今の日本の女の子たちに自然に受け入れられ、ソフトにマッチしているということは興味深い。

スプツ二子!もロールモデルを探していた高校時代にライオット・ガールに出会い、『この人たちだったら私はなりたい!』と思ったそう。心に残ったのは、野中モモの「パンクという言葉はかならずしも音楽のスタイルを表すわけではない」という言葉。この言葉は、ガーリームーブメントにおけるDIY精神や草の根運動の根底には反逆精神があるということを示唆している。また、2010年代の日本でジンが流行り出したことと、今、都市で、地方で、ふつふつと世の中を変えていこうという自発的な働きかけが始まっているということが同時期に起きているのは、偶然ではないように思う。

90年代にファッション・ジャーナリストとしてパリコレに通い続けていた林央子のトークは、パリで現代アートを背景に発刊されたインディペンデント・ファッション誌「パープル」の成り立ちから、当時新しい雑誌の発信地としては最も保守的とみなされていたパリでも、既存のメディアの外でインディペンデントな表現が盛り上がってきたという話題へ。

スーザン・チャンチオロが作る世界に一つしかないジンの話や、ベルンハルト・ウィルヘルムらがアントワープ王立芸術アカデミーの課題で自分を表現する本を作っていたという話など、林央子の書籍からこぼれ落ちたようなエピソードには一貫してクリエーションの発端が感じられ、きらめきが。林央子はまた、個人で「Here and There」を出版するインディペンデントなオーサーの一人でもある。

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