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鈴木ヒラク

PEOPLEText: Mariko Takei

ご自身の個展カタログの中で、描く行為の中で、何かを「表す」というだけでなく、何かが「現れる」という発掘に近いやり方があることが希望だと述べています。例えば、ライブペイントされている時など、偶然性に溢れている状況では何かが「現れる」頻度が高そうですね。何かが「現れる」そういう瞬間をとても大事にされているのだなぁと思ったのですが、今までにどんな発掘をされたかなど、何か特に印象的な発見はありましたか?

僕のライブペインティングは、掘った土を使っていることも含めて、ある場所を架空の発掘現場に変容させる行為でもあります。現場とは何かが「現」れる「場」所のことで、つまりやれば必ず予期しない何かが起こるからやっているところがあります。

鈴木ヒラク
ライブペインティング風景, 2008, Super Deluxe(東京) Photo: Chito Yoshida © Hiraku Suzuki

僕が発掘と言っているのは、何かの上に何かを塗り重ねるような行為の逆で、既にある何かの中から何かを引き出して、それを見るという行為のことです。前者の考え方だと、世界はいつも「何かが足りない」状況として感じられますが、後者の場合では、世界にはもう既に全ての可能性が存在していると感じられる。遠い場所に異次元があるんじゃなくて、今ここが既に異次元を秘めているんだと。だからこそ、その辺に転がっているものを使って、別の世界をゼロから作ることだってできるわけです。

鈴木ヒラク
Road Sign -Spiral, 2008, アスファルト片, 3.2 x 3.2m Photo by Ooki Jingu © Hiraku Suzuki

すごく大ざっぱに言えば、これは西欧の油絵というより東洋の書に近い感覚です。油絵でも、例えばダリは発掘していないけど、ピカソは発掘している。という言い方もできると思います。さらに言うと、50年前にウィリアム・バロウズに「カットアップ」の手法を教えたブライオン・ガイシンという画家は、モロッコのタンジェやパリで、原始的な書に近いことをやっていました。彼は「画家は新しい世界を書こうとする。絵画はシグナルだ。」と言っていた。ガイシンの作品は異星人の暗号のようで、いかがわしさが漂いますが、僕はすごく分かる気がする。ちなみに彼もライブペインティングをやっていたようです。

ただ、僕の関心があるのは、発掘っていう行為自体もそうですが、発掘されて現れる対象が、時には捏造されたり、時間によって変化する、流動的なものだということなんです。記憶のかたちってすごく不安定で、いくらでも変形するじゃないですか。

そうやって考えてみると、こうしてパソコンのキーを叩いているのも発掘だし、生きること自体が発掘作業の連続かもしれないです。変化し続ける現在の中から未来を発掘するというか。それはドローイングという行為の最も原始的な部分にも繋がっている気がします。

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