ノーマ・トラヤ

PEOPLEText: Naoko Fukushi

もの悲しげで寂しい感じでありながら、悲観的ではなく強さを感じる。どのような人物が作ったのかという好奇心が否応なく掻き立てられる。今年のドットムーブ・フェスティバルの選出作品のなかでも一際そんな個性を放っていたノーマ・トラヤが、今月のカバーデザインを手掛けてくれた。彼女の作品に存在する独特の世界はどのように生まれているのだろうか?そのルーツを伺った。


Self Portrait

まずはじめに自己紹介をお願いします。

ノーマ・トラヤです。ロサンゼルスに住んでいます。エクスペリメンタル・アニメーションのマスターを取得するために5年前にロスアンゼルスに移り住み、ウェブデザイナー、アニメーター、フラッシュデザイナー、コーダーとして活動しています。出身はマイアミで、ニューヨークもにしばらく住んだことがあります。クランクバニーという名義でクリエイティブ活動をしており、アニメーションを使ってストーリーを伝えるといったことをしています。

現在の活動内容を教えてください。どのようなことをしていますか?

アニメーションを沢山制作し、フリーランスとしての活動も沢山しています。ときどきタトゥーを入れに出かけるのと、友達と夕食にでかける以外、ほとんど社会生活というものが私にはありません。私の生活の大半は、ドローイング、コンピューター上での仕事、届いたメールへの返信です。たまに先生に会いに学校へ行くこともあります。


Army of Me

ドットムーブ・フェスティバルに応募された作品「Army of Me」、「Harboring Wells」について解説していただけますか?このような作品を制作するきっかけは何だったのでしょうか?

「Harboring Wells」の方が古いのでこちらから話します。ある日、小さな男の子がすでに息をひきとった母親と1ヶ月間生活をしたという記事を読みました。その男の子はコートとノートの紙きれで母親を覆い、学校へ行き、自分の食事を作り、周囲が気付くまで一言もそのことを話さなかったというものでした。その母親の名字が、“WELLS” でした。私はこの話にとても魅了されてしまったのです。子供というのはときどき、死とはどういうものなのかを理解できず、純真であるがゆえに、そのような状況を全く大人とは違ったふうに対応してしまいます。この感情は、人がときどき過去の甘い記憶に隠れたり捕われたりしながら生きてしまうという点にも類似しているような気もします。


Harboring Wells

この作品のアイディアは、現実は全く異なっていて恐ろしいものであるにも関わらず、過去のぼんやりした素敵な記憶の中で生きるというものです。それを表現するために、作品のタイトルを「Harboring Wells」として、2つのキャラクターを登場させています。一つは、実際に登場していなく、死を暗示したもの。もう一つのメインキャラクターは、揺れる眩惑にふわふわ浮いており、もう一人の存在が死んでいるという事実に気付かずにいる。そしてあなたは、この2人に迫り来るクモという現実を目撃します。

またこの作品には、すごい盛り上がりを持つ、ドゥ・メイク・セイ・シンクの曲を使おうと思っていました。この作品は、一連のフィルムにまず動きをつけ、それから編集するという普通とは異なる方法で制作しました。つまり、まず絵コンテがあって、それにそって「次はこれを描こう、そして次にこれを作ろう」という通常の手順は取らなかったのです。映画と同じように制作することで、“アニメーション” というより “映画” に近い作品になっていると思います。


Army of Me

「Army of Me」は今年の3月に完成した作品で、1年かけて制作したものです。全てのテストショットが完成した後、ロサンゼルスにあるアニメーションの学校に行く準備をするために少し間をおきました。この作品は、私自身、人間関係ということになると本当に無関心な人間だと気付いたところから生まれたもので、そのアイディアを落としこんで、ノーマ・トラヤの集団を攻撃的で力強いものに仕立てあげれば面白くなるだろう、と考えました。私のことを知る人達の多く(私自身を含めて)が、私はロボットみたいだとジョークを言います。私はものすごい仕事人間で、いろいろな面で極端にきちんとしていて、作品の締きりを絶対守るという点においては達人技です。自分自身が無感情な人間だと思うと嫌になり、時々こういうジョークを言われることにうんざりしますが。

また、砂漠のある風景とその存在理由にも魅力を感じてもいます。私の住んでいるところには砂漠がそこらじゅうにあり、それをビデオで撮影してアニメーションに落とし込みました。「Army of Me」はストーリーというより、その環境に重点を置いたものにしたいと考えていました。でも大抵の人はこういう作品を見る時、ぼんやりとしたエピソードではなく、何らかのストーリーとして捉えてしまうので、構成がとても難しかったです。サウンドトラックについて沢山批判もありました。特に学校の先生と、私が “古い耳” と呼んでいる人達からは多かったです。でもその人達の言葉は、数多くある中のアドバイスの一つで、友達や一緒に仕事をしている人からのアドバイス、そして自分の感覚を頼りに作っていきました。

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