エピデミック

PEOPLEText: Loredana Mascheroni

本質的な信念を持ったプログラマーやアーティスト達に選ばれたその名前は、なんとぴったりなのだろう。「コードソースを書き連ねたもの」「正確には、ウィルスの実行のために用意・プログラミングされたテキスト」。これは、一つの美学的商品と考えられている。したがってウィルスは、新しい言語・心理学・コミュニケーション世代に向けた、完全にオリジナルで前衛的、革命的で探究的な物、あるいはもっと厳密な意味で美学的なものとして見ることができる。

これらのイントロダクションは、既に2つの結果を生んでいる。一つは、ボローニャにて5月に開催された展覧会「ヴァリイ、ヴァイラス、ヴァイレン、ヴァイリ」。もう一つは、ベニスビエンナーレの0100101110101101.ORGとのコラボレーションとしてプロデュースされた「ビエンナーレ・ドット・パイ」プロジェクトである。

2001年6月6日、ビエンナーレのオ−プニングで、ウィルスのソースコードを公開で制作し、スロベニアン・パビリオンから配付するという試みが行われる。ウィルスをより広くばらまくためにビエンナーレの初日、プログラムのソースコードを印刷した何千というTシャツが配付されるという。このイベントの協力により、ウィルスの世界の主人公達と彼等の作った商品、アートについて接触できる機会に恵まれた。

あなたのウェブサイトでは自分を定義付ける事を否定していますが、「エピデミック」とは何ですか?そしてデジタルの世界でそれは、どのようにして生まれてきたのでしょう?

つまり、私達は自分の事を定義していないのです。カテゴライズされたり、カタログ的にされたり、私達のする事に対して名前を付けられたりしたくないというこの考え方は、たぶんアートの世界では、もっと広まっているのでしょうが、ITの世界でも同じ事なのです。

エピデミックは、グループとして、「集団」というよりもっと古いセンスで定義してほしい。このグループは昔のムーブメントしか知らないしね。

私達は、アートの分野とITの世界でそれぞれ活動している人達で構成されています。実行や理由付けの際の理論的視点が共通しているのです。ある日、アートのグループの人がITの人に質問し始めました。そして、この不運な人は答えました。あとは、言うまでもありません。でも、ドナルド・ナスの本で「アート・オブ・プログラミング」が歴史であり、スティーブン・レヴィーの「ハッカー」(初版1984 年、ウィルスが初めて現れた年)が「アート、サイエンス、遊び」の繋がりについて述べていたという事を忘れないでほしい。

「ヴァリイ、ヴァイラス、ヴァイレン、ヴァイリ」から「ビエンナーレ・ドット・パイ」までプロジェクト間のアーティスティックなつながりについて教えて下さい

「ヴァリイ、ヴァイラス、ヴァイレン、ヴァイリ」は、ちょっとウィルスの文脈からずれていると思います。正確で美的な飛行機の上に乗っている文脈というものから逸れている。ウィルスはクリエーター/クリエイトされたもの、コード/モンスター、機能/遊び等といった短い環として読み取る事ができると考えています。シュウィッターがアーソネートを実行するというのと同じように、バイフォによってなされたものとみなすより、そう読み取った方が良いでしょう。コードからの直感的観点として狙いを定めた行為は、スクリーンに複数の結果を映し出すようなものでは無いのです。結果は、まとめられると別物になってしまうので。

「ビエンナーレ・パイ」は、パイソンのために初めて書き込まれたウィルスということで、それ故に知的なITを含んでいますが、それは、ピエロ・マンゾーニの「メルダ・ディ・アルティスタ(芸術家の糞)」の理屈と合致している。「それについて考える事はできるけれども、それ以外にはできない。」この2つは、それらの存在を証明するための破壊的行動の中に人々を閉じ込めるのです。

どのようにプロジェクトは作り出され、発展したのですか?

プロジェクトは、行動に対して理解されるものです。これまでアートやコンピューターサイエンスが、そうであったのと同じです。

なぜ人間を通じてのウィルスの広がりがネット上で排除され続けるのでしょうか?

ウィルスは、ネットから排除されているのではありません。現実の世界では、社会的な影とニュースがあります。必要なものですが、決して本質的なものでない。

ウィルスの調査は、挑発的ですか?あるいは、皮肉や逆説的なものですか?

ウィルスに多くの知的なエネルギーを注ぎ込むよりは、もっと他の事を沢山したいと思います。アーサー・カルヴァンとフランシス・ピカビアなら、きっと理解してくれたと思います。マダム・デュ・デッファンド・トゥ・ヴォルアイアが書いたように、真の敵は退屈、つまり驚きが何もないということなのです。

何故ウィルスが美しいと思うのですか? ウィルスはアートと言いますが、デジタルアート、ニューメディアアート、ネットアートなど似たような呼び方がある中で、どのようなものに位置していると思いますか?

これは、アートなのです、と言い続ける事はできません。けれども、ヒューマニティーの皿の中あるものだ、とは言い切れます。多くは死んでしまっている。生きてるか、死んでるかわからないものも沢山存在するのです。

Text: Loredana Mascheroni
Translation: Naoko Ikeno

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