ゲスト・リスト

THINGSText: Nicolas Roope

「ゲスト・リスト」はロンドンで発行されている、クラブ、ファッション、映画、本やアートなどを取り上げる、雑誌、音楽CD、CD-ROM全てをパッケージした新しい形態のメディアだ。
今年3年目を迎えるゲスト・リストのエディターであるチャッキーにお話を伺った。

まずは、フォーマットについて

フォーマットは常に私たちにとって大きな問題でした。最初は、ただのポケット・サイズの雑誌形態で、CD-ROMも付いていなくて1ポンド(=240円)で売っていました。
去年の終わりに、私たちと同じような形態の雑誌がA4という新しい雑誌を作りはじめて、無料のものが有料になりました。私たちは何かが変わり始めていると感じました。私達はすでに、有料で販売していたので、その部分では何もする必要はありませんでしたが、私たちの雑誌を支持してくれている人々もいたので、自分たちのものをA4のようにはしたくありませんでした。
去年の時点で、すでに私たちは階下のスペースを使ってマルチメディア関連の仕事をしていましたから、これを雑誌に組み込めば良いだろうと思ったのです。例えば、映画評を読むだけでなく、実際にクリップも見れれば良いし、音楽でも曲も聴ければいいと思ったのです。

雑誌のなかには、ときどき音楽CDを入れているものもあるが、ゲスト・リストは常に雑誌とともにCDが付いている。

カバー・マウントの基本的な考え方は、あまり売り上げが上がらない雑誌が購買欲をそそるために入れるというマーケティングです。値頃感で購入させようというものです。私たちがしているのはそういうことではなくて、あくまで文章に異なった次元を導入するということです。

ゲスト・リストは3次元を最大限に活用し、部分部分を組み合わせ、コンテンツを充実させている。音楽CDは雑誌の誌面でレビューされ、CD-ROMはそのクリップやその他の素材を含み、インタラクティブな環境で再生される。
結果として、編集形態は経験や思考を言葉に置き換えて伝達されるという旧来のジャーナリズムを放棄しなければならなくなり、代わりに読者やユーザーが直接、経験するというものになる。これこそが、まさにCD-ROMに求められていたものだが、いままでそうなった試しは殆どない。これは、まさに適切なフォーマットの在り方というのを示唆しているが、その種のものとして最初のものであっただけに、受け入れられるのはたやすいことではなかったようだ。

もしも、私たちが最初からこのようなものを出していたら、雑誌と音楽という形態の違いから大変な問題に直面していたに違いありません。当初は、雑誌として売り出したわけですが、サイズのことで大きな問題をかかえていました。
通常の流通には適合しなかったので、大きな流通にはのせられませんでした。ポケット・サイズのために、カウンターの上に置かれることが多かったのです。
手始めにセブン・イレブンに置かせてもらい、その後に幸運にも、オックスフォード・サーカスのHMVに置かせてもらえる事になったのです。
創刊号を150部ほど、まったく宣伝もなし売ることができ、そこのマネージャー気にいってくれて、ロンドンの中心部の5つのHMVにゆっくりと広がっていったのです。遅からず、販売部数は600までのびました。それから、HMVとヴァージンを通してイギリス国内に流通し始めたわけです。この流通に関しては、1部の値段が2ポンド95ペンスということで、以前の1ポンドのものとは違い、インセンティブが大きいので非常にうまくいっています。

ゲスト・リストが特に優れているのは、そのコンテンツのバランスの良さだ。雑誌以外の媒体だけでも買う価値が十分あるし、雑誌だけだとしてもパッケージごと買うだけの価値はある。コンピューターを持っていなくても、雑誌は読めるし、曲もきける。あるいは、コンピューターを持っていれば、残りのコンテンツも楽しめるのだ。

これは時代を先取りしているものだと思います。CD-ROMを作ったり、メディア産業で仕事をしている人は、他の人たちがしていることに無関心ですが、私たちのところはそうではありません。沢山の人たちから電話があり、励ましを受けています。CD-ROMのどの部分が一番好きですか?と聞くと『まだCD-ROMのほうは見てないのですよ、でもパッケージが好きなんです』というような反応が良くありましたし、今でもそうです。これをプレイステーションのゲームソフトと思いこんで買った人たちも沢山いて、苦情を長々と聞かされるということもありましたけど。

たとえ、これを買った人の半分だけがCD-ROMのインタラクティブなパートを見たとしても、このユニークなフォーマットは広告主にとって魅力的なものだ。広告主と広告代理店も最先端のクラブ・カルチャーとテクノロジーの境界にあるこの媒体を歓迎しているようだ。

最初の号を出すにあたり、わずか3週間で前年の9か月間でした代理店との打ち合わせをこなしました。
みんな気に入ってくれたのですが、CD-ROMで何をどうして良いか分かりません。彼らは何も面白いものやデジタル素材を集めることができなかったので、ほとんどの部分でVHSの映像を使わざるを得ませんでした。今のところ、代理店を雇い入れ、素材を集めるのは高くつきますが、もっと一般に広まれば必ず値段も下がるでしょう。

フォーマット自体とは別に、定期刊行物が何を扱い、テーマとしているかということの重要性に深く根ざしている。

私はファッション系のカレッジの出身で、ファッション・ジャーナリズムを学んでいました。それで、ファッション業界というのがとても古くさい、閉じた産業であると思い始めました。それで音楽に興味を持ち始め、4年前、ミニストリー・オブ・サウンドが盛り上がっていたころそこで仕事を得て、クラブや音楽を通して何ができるか、どのように人々とコミュニケートできるかということに魅了されました。一つの変化が起きていて、クラブが頂点を極めていた頃、何か他のことが起ころうとしていたのです。

私たちが雑誌を始めるころには巨大クラブは盛り上がり、音楽産業や国全体がそれを謳歌していました。誰もが、音楽を好き勝手に作っていて、良いものなどありませんでした。誰も質のことなど気にかけないようになっていたのです。

クラブは広く開かれた産業であり、誰でもクラブを始めることができるのだが、それは良いことでもあり悪いことでもある。いずれにせよ機会が多ければ多いほど、何か良いものを見つけることができるはずだ。

そして90年代は80年代の後始末をしているようなものだが、ある意味でこの10年間は、若い人々が自分たちのしたいことをしている時代となっている。

この90年代は表現の時代であり、これが僕自身のしていることの原動力ともなっている。誰もが60年代のスウィンギング・ロンドンの頃の熱狂を引き合いにだして今のクールなイギリスについてまくしたてている。しかし、僕の知る限りスウィンギング60’sはチェルシーのごく一握りの連中が関わっていただけで、一般的に言われているようなおおげさなものではなかったはずだ。そして今起こっていることはその状況とは大きく異なり、あらゆるレベルでそれが実際に起こっているのだ。誰だろうとどこの出身だろうとそんなことは関係なしに、ただ実行することができるのだ。以前のような若者を縛り付ける悪しき思考や慣習はもう存在しない。

フォーマットとアティテュードが道を切り開き、かつて不可能だったこと、様々な表現を結びつけることが可能になった。ある意味、共有されえなかったというよりむしろメディア間の限界により、ばらばらだった興味や嗜好を結びつけることがフォーマットのみで可能になったのだ。
結論はまず、ゲスト・リストは間違いなく質の高いものであり最先端のメディアによる実験である。そして、それが僕がゲスト・リストをマークしている理由だ。

Text: Nicolas Roope
Translation: Satoru Tanno

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