ポール・ケアホルム展 時代を超えたミニマリズム
HAPPENINGText: Alma Reyes
世界的に有名な、北欧の職人たちの比類なきクラフツマンシップと木工技術。特にデンマークは、1042年にバイキングの軍艦・スクルデレフ2号を建造して以来、卓越した家具デザインの旗を掲げてきた。20世紀半ば、デンマークの家具デザイナーとして高い評価を得たひとりにポール・ケアホルム(1929〜1980年)がいる。ケアホルムの特徴は、当時では珍しく、石や金属などの硬質な素材を取り合わせた厳格なデザインにある。それでいて各々の家具は決して冷たい印象は与えず、置かれる空間に心地よい緊張感をもたらす。古びることのない、ミニマルで清潔な造形に凝縮されたケアホルムの仕事は日本の建築ともよく響き合い、国内の愛好家の間でも根強く支持され続けている。
パナソニック汐留美術館で、「織田コレクション 北欧モダンデザインの名匠 ポール・ケアホルム展 時代を超えたミニマリズム」が、9月16日まで開催されている。本展は、長年にわたり椅子研究と収集を続けてきた織田憲嗣氏(東海大学名誉教授)のコレクションを中心に、ケアホルムの主要作品を網羅した、日本の美術館では初めての展覧会。織田コレクションを有する北海道東川町の協力のもと、約50点の家具と関連資料を年代順に紹介するとともに、ケアホルムのデザイン哲学と洗練された家具の造形美を、パリを拠点に活動する気鋭の建築家・田根剛氏(ATTA)の会場構成で堪能することができる。
ポール・ケアホルム 自邸にて(1961年頃)写真提供:フリッツ・ハンセン
展覧会はケアホルムの生涯の紹介から始まる。ケアホルムは画家になることを夢見ていたが、父親の説得で15歳で家具職人に弟子入りし、家具製作を学んだ。19歳で家具職人の資格を取得した後、コペンハーゲン美術工芸学校で工業デザインを学び、スチールに代表される当時の新しい工業材料に強い関心を抱くようになった。
デンマーク家具デザインの第一人者とされるハンス・J・ウェグナーは、ケアホルムの将来有望な技術を見いだし、彼のスタジオでパートタイムとして働くために彼を雇った。ウェグナーは、ケアホルムのキャリアにおいて最も影響力のある指導者となった。最初の部屋に展示されているエレメントチェアとしても知られるラウンジチェア《PK 25》とプライウッドラウンジチェアの《PK 0》は、ケアホルムがウェグナーのもとで卒業制作としてデザインした初期のプロトタイプだ。
ポール・ケアホルム《エレメントチェア(PK 25)》(1951年)織田コレクション/北海道東川町蔵 撮影:大塚友記憲
《PK 25》(1951年)は、ケアホルムの工業素材に対する熱意を感じる重要な例といえる。彼はチェアに用いる素材をそれぞれの部位に一種類と限定することで、継ぎ目のないアーチ状に曲げた一片のスチールのフォルムを作り上げた。座面と背もたれには、ウェグナーお馴染みの丈夫なロープ、フラッグハリアードが使われ、座り心地と張り感を同時に体現している。
ポール・ケアホルム《PK 0》(1952年)織田コレクション/北海道東川町蔵 撮影:大塚友記憲
黒い《PK 0》チェア(1952年)は、2枚の成型合板を座面の下側で接合した構造で、彫刻的な外観を想起させる。卒業制作のこれらの作品がきっかけとなり、デンマークで最も知られた家具デザイン会社のひとつ、フリッツ・ハンセンに1951年にデザイナーとして入社することとなるが、当時の社長ソーレン・ハンセンに本チェアの製品化を却下されてしまい、彼はフリッツ・ハンセンを去ることになる。在籍わずか1年、ポール・ケアホルム23歳の時であった。
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