林田嶺一「ポップ・アート」展
HAPPENINGText: Ayumi Yakura
旧満州国出身、83歳の現代美術家が脚光を浴びている。林田嶺一は、少年の頃に植民地時代のアジア各国で目にした記憶と広告をモチーフに、コラージュや半立体の板絵などの彩り鮮やかな「ポップ・アート」(広告など大衆消費社会のイメージを題材にした芸術)を、40年以上にわたり独学で制作し続けている。「戦争体験者が描くポップアート」という、世界的にも貴重なその作品は、作家が高齢となり、2001年に「キリンアートアワード」で優秀賞を受賞するまで、ほとんど世に注目される事が無かった。
「天津飯店(チャイニーズアールヌーボー)」2016年, 650 x 1,420 x 110 mm, ミクストメディア, 組作品, クロスホテル札幌
札幌初個展となる本展は、林田作品の価値を再認識し、改めて拠点の北海道及び国内外へ発信する為に、クロスホテル札幌とクラークギャラリー+SHIFTのコラボレーションで展示を行う「まちなかアート・クロス・エディション」の第24弾として、クロスホテル札幌で6月30日まで開催されている。
林田嶺一は、1933年10月21日に旧満州国で生まれ、新聞記者をしていた父の仕事により、家族と共に満州から大連、上海、青島、ソウルへと移り住み、第二次世界大戦が終戦を迎えるまでアジア各国で暮らした。当時「東洋のパリ」とも呼ばれ、イギリス、フランス、ドイツ、アメリカなど異国の文化に溢れていた上海での暮らしは、幼さゆえに世相を理解できなかった林田少年にとって、いわば「ディズニーランド」で遊んでいるかのように楽しく輝かしい思い出となった。
「上海事変(食堂の窓から)」2017年, 455 x 600 x 100 mm, ミクストメディア, クロスホテル札幌
上海の食堂で家族と食事をしていたある日、林田少年は店の窓越しに遠くの爆撃を目撃した。当時4歳という幼さで、それが戦争が激しさを増す深刻な事態、第二次上海事変であった事を知る由もなく、遊園地のアトラクションや花火を見るようにはしゃいだという。2017年の最新作「上海事変(食堂の窓から)」では、遠くに戦火を描きつつも、空を飛ぶ戦闘機には漫画のような顔が描かれている。
やがて終戦を迎え、林田家はソウルから八幡へ向かう舟で日本へ引き上げた(父は青島にて逝去)。初めて足を踏み入れた母国は、製鉄所を狙われあたり一面が焼け野原になっていた。母に連れられ、国鉄(満席で屋根の上にまで人が乗っていた)で巡った、広島や大阪などの惨状を目の当たりにして、林田少年は初めて戦争の悲惨さを実感し、「戦争なんて馬鹿げている」と認識したという。
その後、母の故郷であった北海道増毛町で暮らし、留萌高校を卒業後は北海道職員として北海道立三岸好太郎美術館の創立に携わったが、職が適さず一年程で異動となり、以降は30数年にわたり、札幌近郊である江別市の北海道立図書館にある印刷室で退職まで勤め上げた。
高校の頃から独学で油彩画を描いていた林田は、当初「全道展」へ所属しながら、国際的な美術の動向に影響を受けてシュールレアリスムの油彩画に取り組んでいた。本展でも、裸婦と動物、風景がだまし絵のようになった、当時の油彩画を一枚観ることができる。そして、40歳を迎えたある時、元の職場である三岸好太郎美術館の学芸員から受けた助言により、1980年頃から戦争をモチーフとしたポップ・アートに転じた。
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