マウンテン・ヤム
PEOPLEText: Kanae Tamase
近頃、香港のファッションブランドが盛り上がりを見せている。そのうちの一つがマウンテン・ヤム。デザイナーの高校時代のニックネームを付したこのブランドはセレブ向けのイブニングクチュールブランドで、熟練の高度な技と並外れた細やかさを特徴としている。2009年に香港ヤングファッションデザイナーコンテスト(YDC)のファイナリストに選ばれ、さらに2010年にはデイウェアライン「112マウンテンヤム」を立ち上げたマウンテンに、自身のこと、またクリエイティブなファッションデザインについての思いを聞いた。
自己紹介をお願いします。マウンテン・ヤムの設立に至る経緯も教えてください。
香港のファッションデザイナー、マウンテン・ヤムです。香港理工大学で学士号と博士号を取りました。学部生だった頃、ニューヨーク州立ファッション工科大学(F.I.T.)に交換留学しました。そして博士過程に進む前にパリへ赴き、”ペクレール・パリ”でのインターンシップに参加しました。
24歳の時にデザイナーとしてキャリアをスタートしました。学士過程の卒業制作に、大好きなイブニングドレスを作り、博士課程では構造的/建築的な要素を含んだデイウェアを研究しようと挑戦しました。卒業して、香港のハンドバッグデザインの会社で2年半働きましたが、F.I.T.でのアクセサリー製作の経験がとても役に立ちました。このハンドバッグデザインの会社は、プラダやコーチなど世界の有名ブランド向けにあらゆる革製品を製造していて、特にハンドバッグに関するテクニカルな技術について学ぶことができました。その後、日本人がオーナーであるアンテプリマに転職しました。デザインチームは香港、日本、イタリアにあり、ファッションショーのためにイタリアへの出張もさせてもらえて幸運でした。しかし大きい会社なので、仕事のやり方が固定化されていて、変化を起こせない状況に徐々に飽きてしまったのです。それでアンテプリマでの2年目からは、仕事が終わった平日の19時以降と休日を自身の制作活動に費やし始めました。とても大変な年でしたが、自分自身のコレクションのための準備作業はとても楽しくもありました。
2009年に香港ファッションデザイナーズコンテストに参加し、その企画団体である香港貿易発展局(TDC)がファッションショーやビジネスマッチングの場に招待してくれたおかげで、沢山のバイヤーじゃファッションジャーナリスト、メディア関連の人々と出会い、自分自身の未来について考え出すようになったのです。
アンテプリマでのとある面白い出来事を今でも覚えています。オーナーが私と同僚数名をディナーに招待してくれた夜のこと、オーナーが “後悔のない人生” と発言したのです。私はそれを聞いた瞬間にこの会社を辞めることを決意しました。上司には『人生について大切なことを思い出させてもらって感謝しています。申し訳なく思うけれど、人生をかけて追い求めたいことがあります。後悔はしたくありません。失敗したとしても、それもまたいい経験になるはずです。』と伝えました。
そして私は小さなスタジオを借りて自分のブランドをスタートさせました。112マウンテンヤムは中国本土のマーケットをターゲットにしたデイウェアラインで、今後台湾やシンガポール、その他発展途上国に展開していこうと考えています。もう一つのライン、マウンテン・ヤムはセレブやウエディング、その他特別なイベント向けのイブニングドレスにフォーカスしています。これら以外にもコストカットを考える大企業からアウトソースされたデザインをトータルパッケイージで提供する仕事もあります。
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