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西尾美也

PEOPLEText: Yuko Miyakoshi

オーバーオールシリーズの蒸気機関車の制作風景を映した映像で、参加しているアフリカの方がとても楽しそうなのが印象的でした。

アフリカの人には、サッカーを鑑賞したり、踊り好きな人が多いので、クラブに行って踊ったりという楽しみもあります。クラブでビールを飲んで踊っているという人たちは割と多くて。そういった、歌や踊りやお酒やサッカーといった「わかりやすい共有の仕方」がありますよね。日本人でも、もしそこを共有して踊りだしたりすれば、一気に仲良くなると思うのです。僕自身はそれができないのですよ。それができないことはコンプレックスだけど、だからどうするか、と。それで別のコミュニケーションを、という時に服を交換したり、パッチワークしたり、という僕なりのものが出てくるのです。その時の彼らの楽しそうな感じというのは、ダンスをしている時の楽しさとはまた違うはずで、何か新しくて、何かわからないけど、楽しんでやってくれる、あの探りあってる感じ。それが何かに繋がるんのではないかと思わされるのです。

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「家族の制服:西尾家」数十年前の家族写真を同じ場所、服、メンバーで再現制作したプロジェクト(兵庫 2006)

家族や通行人といった、あらゆる層の人を巻き込んで制作するのは何故ですか?

それは色々な説明の仕方があるのですが、一番素直なのは、色々な人に作品というか、考えを見て欲しいからですね。僕の思ってることを伝えたい、という時に、方法論として美術の方法で作品にして展示して見せる、ということでは伝わらない人たちがいる。それはやりながら分かってきたことで、そこでギャラリーに来ない人とか、美術という形式をとることで敬遠してしまうような人たちにどうやって見せていくか、ということを考えた時の一つの方法として、作品に 巻き込んでしまう、という発想になっているのです。それも服にずっと興味があったということが元々のきっかけになっていて、そもそも服を着る経験は誰もがもう参加してるはずです。それが服を交換した り、一緒にパフォーマンスしたり、そこには色々な形態があっていいと思うのですが、今はその服を着る経験の幅を広めているという、進行形の状態です。

参加する方が作品を見る方、ということでしょうか?

そうですね。だから一番の観客というのは参加している人だな、と思っていて、それを参加していない人に見せる時に、写真にしたり映像にしたりしていますが、それは僕の中ではあまり重要ではありません。写真にしたり映像にしたり、服にしたりすると、作品化する技術が介入してきます。それはそれで当然必要なことだし、それで伝わる人がいるのでつくるにこしたことはないのですが、本質的ではありません。第一次的に関わっている参加者が一番大事なのです。

2011年から2年間、生活の拠点にアフリカを選ばれたということですが、制作は日本より外国の方がやりやすいですか?

——という程でもないですね。外国のやり易さをそれ程知っているという訳ではないので、日本が外国に比べてやりにくいかどうかは、まだわからないところです。ただ、現状で言うと、各地で開催されるアートプロジェクトの常連作家になりつつあるので、そういう意味では一つのコマになって使われている感じもするので、そうじゃなくて自分でどこで何をするか、というところから考える方がアーティストとしてはやりがいがあります。与えられて決められた環境で、そこにアーティストが呼ばれて何かやるのではなくて、どこでやるか、から考えたいという思いは強くなってきています。

用意されたアート業界の型にはまってしまうことには違和感がありますか?

そうですね。消費されている感がちょっとあります。僕がしていることはプロジェクトなので、別に売るものはないのですが、大きなアートプロジェクトで町に呼ばれて、町の人と関わって作品を作る。でもその町に入る時の動機が、呼ばれてやっている、ということになってしまうとなかなかやりきれない。それでまた次のところに呼ばれて、すぐ次のところにいかなきゃいけない。すごく忙しく回らなくてはいけないというのが難点です。

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