ウィーン・アート・ウィーク 2009
HAPPENINGText: Daniel Kalt
オーストリアの首都で5周年を祝う注目のアートイベント。
デザイン、映画、演劇、ファッションなどの分野と同様、アートの世界もある意味でクリエイティブなビジネスと言える。目に見えるものを創り出し、沢山の(そして願わくば世界中の)観客を楽しませるために力を合わせなくてはならないという点では少なくとも同じである。このことに賛同する ウィーン・アートウィークが、数々の興味深い作品を集めて色どり豊かに開催された。このイベントは1週間を通して行われ、ウィーン・アートクラスターと呼ばれる、この街で最も貴重な美術協会のトップであるロバート・パンケンヘーファーとマーティン・ベームが総合監督を務めた。ウィーン・アートウィークの幅広い全貌を、このような短い文章の中にまとめるのは極めて難しい。しかし2009年のこのイベントに対しての私自身の印象を総括するならば、おそらく今年は、インディペンデントのキュレーター/美術評論家/理論家であるウルスラ・マリア・プロプストの類い稀な貢献と努力によって印象づけられたものであったと言えるだろう。彼女は特別出版物「ミート・アート」の中で数多くのインタビューを行い、パブリックアートの展示「ローカル・ストラテジーズ・コンティニュー」(SHIFTの読者の皆さんは、このプロジェクトのはじまりをご存知であろう。)を企画し、素晴らしい展示「ザ・センター・オブ・アテンション」を創り上げたのだ。
Marlene Haring, Because Every Hair is Different, 2005-2009, Billboard Poster © Marlene Haring
この「ザ・センター・オブ・アテンション」のために、彼女は総勢20名のアーティストを集め、オーストリアと東ヨーロッパ地域のアートを結合させた。そうして、ヨーロッパの中心というオーストリアの地理的位置がもたらす結果と希有な機会に注目させたのだ。この展示が本当に問いかけたかったこととは、アートの社会的潜在能力と、真実を描くというアート本来の可能性である。仮設のスペースに設営され、ウィーン・アートウィークの終了とともに閉館するというこうした展示方法は、ベルリンのような他のアート主要都市ではよく用いられているが、アートを動的にいきいきと表現させ続けることの重要性を思い出させてくれる。つまりアートを、変わり続けるもの、予測できないもの、そして経済的に不安定なものとして印象づけられる方法なのだ。プロプストは、カトリン・ボルト、マルレーネ・ヘリング、そしてロシア出身のアンナ・ジェルモラエワといった比較的若いインディペンデントアーティストと共に展示を制作した。
Helmut & Johanna Kandl, Wächterhaus, 2008/09, courtesy of Kunst im oeffentlichen Raum Steiermark
アート界の国際的な専門家と、ウィーンのアートを牽引するリーダーたちを集めた数々の討論やパネルディスカッション(例外は「キュレーションの現場とアート市場」についてのディスカッションで、これには関係者であったフリーズ・アート・フェアのマシュー・スロトヴァーとヴィト・デ・ヴィスのニコラウス・シャフハウゼンが参加した)が行われ、私は、ある方向性をもった美術的記録の潜在能力と可能性についての公開討論を聴講した。そこでは、時代を過ぎ行く通行人としての意識から、パブリックアートを手段として過去の出来事を振り返る必要性について、歴史家ハイデマリー・ウールとアーティストのジョアンナ・カンドル、ドロシー・ゴルツなどが活発に議論した。ひとつの結論には至らなかったが、アートが(抑圧された)記憶の再活性化と視覚化のための最適なツールであることは疑いようもなく浮き彫りにされた。
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