エリック・ナッケ

PEOPLEText: Yurie Hatano

今月のSHIFTカバーを手がけたエリック・ナッケは、常にデザインとテクノロジーの境界線に挑戦するインタラクティブ・デザイナー。見る者達を孤立させることなく、媒体の限界を押しやる方法に鋭い意識を持つ彼は、一貫して向こう見ずな冒険家とも言えよう。成功の秘訣とは失敗する意欲とあきらめない頑固さ、としながら、エリックの作品観は、これまで可能であると考えられてきたものの限界を押しやってきた。想像、冒険、楽しませ驚かせる願望、これらが彼の作品の背後にある原動力の全てである。
2008年10月14日に開かれる、デザインとテクノロジーの国際的カンファレンス「FITCソウル 2008」にも、スピーカーの一人として参加予定だ。

エリック・ナッケ

バックグラウンドを聞かせてください。

僕は確実に、ものがどう作られているかどうかに心を奪われていた子供でした。機械的見解からも、美的な見解からも。青春の大部分を、サーキットボードで遊ぶこと、電気製品を分解すること、ものを破壊することに費やしました。ドローイングやペインティングをすることにとても強い憧れはありましたが、デザインが職業に結びつく可能性があるとは真剣に考えたことがありませんでした。

初めは、教育職の可能性として、生物学への興味を延ばそうと考え、大学に入りました。学位をとる半分の期間くらいになって、イラストとグラフィックデザインへのより真剣な思いを発見したのです。僕は先生でもあったアドバイザーを説得し、前の学期に受けた彼女の授業のための研究マニュアルの制作を手伝わせてもらいました。まだデスクトップ・パブリッシングや画像操作について少し知っているだけで、その夏中はフォトショップ、イラストレーター、クォークを自分で学んでいました。毎日が新しい挑戦で、その解決に一日中費やしても苦ではありませんでした。そのうちに、自分の創造力のアウトレットとして、デザインがより一層の僕の関心であり情熱だとわかったのです。

98年の秋に、ミルウォーキー・インスティテュート・アート&デザインに転校し、その後2年間そこでコミュニケーション・デザインのプログラムを受けました。2000年の夏に3人のクラスメイト(JDホーへ、タイ・レトー、クレイグ・クルーガー)と一緒に「Fourm」というデザインスタジオを始めることにしました。当時はフラッシュもウェブ上のインタラクティブデザインもとても限られていましたので、ツールを自分達で学び、クライアントとインタラクションの新しいモデルを発見することに大部分の時間を費やしました。

2001年の秋、911の後には沢山の変化がありましたが、僕達の小さなスタジオも例外ではありませんでした。2002年までに僕達は、円満に別々の道を行く事を決めました。僕とトビー(婚約者)にとっては、サンフランシスコへ移動するチャンスとなりました。僕は結局一人になるまでの1年以上は「メソッド・デザイン・スタジオ」で働きました。

2003年9月以来「ナッキ・デザイン」は、アメリカ中の企業とのコラボレーションをする、インタラクション・デザイン・スタジオとして活動しています。従業員は僕とトビーのみ。あまり散歩に連れていってもらえないことを承知している、犬のムーも数えてもいいかもしれません。HP、Sprint、Comcast、Saturn、Yahoo、Virgin Atlantic、Coca Cola、Adobeなどの会社とのプロジェクトを手がけてきました。また世界中のデザイン&テクノロジーのカンファレンスに招待されてきたこともとても幸運なことです。今年これまでだけでもトビーと僕は、ブライトン(イギリス)、ミュンヘン(ドイツ)、アムステルダム(オランダ)、トロント(カナダ)、オスロ(ノルウェー)、リスボン(ポルトガル)、ミネアポリス(米国)、シカゴ(米国)、サンフランシスコ(米国)のカンファレンスへ出かけています。そして年末までにニューヨーク(米国)、ブライトン(イギリス)、そして最後にソウル(韓国)を計画しています。
素晴らしい場所や見事なカンファレンスに招待される名誉と共に、それらをトビーと一緒に経験できることをとても感謝しています。

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