カルタラス・トゥバルタス 2005

HAPPENINGText: Emanuelis Ryklys

2005年8月19日・20日両日、第三回目となる、野外フェスティバル、カルタラス・トゥバルタス 2005が、レントバリスにて開催される。リトアニアからだけではなく、イギリス、フランス、フィンランド、ラトビアからも人々がやってくる。

前回、前々回と同様、このフェスティバルは、レントバリス城と湖の間に位置する、ティスケビシャス伯爵の城の廃墟にて行われる。フェスティバルのステージは、この城の元々小屋だった部分(唯一、赤レンガの壁だけが残っている)の間に置かれることになっている。

すでに三回目となる、このただならぬ場所での催しでは、リトアニア及びその他の国のアーティスト、DJ、VJなどが、音、映像、光による素晴らしい二日間を演出してくれることだろう。

このフェスティバルのメインテーマは、カバーである。つまりオリジナルの作品の再創造ということだ。カバーという行為は、未だに話題になるものであり、やっかいな問題であるようだ。カバーをするにあたり生じる、「カバーとは何か?」、「どうしてカバーなのか?」「どこからがカバーになるのか?」という問いは難しく、状況によっては答えられないことが時にある。

そして、みなさんはカバーというものをどう見なすだろうか? 創造的行為? それとも著作権侵害行為? コンピュータによるデータの変形・変質? またはオリジナルに対してのジョーク? オリジナルの破壊? もしくはサンプリング・ミキシング・スクラッチ・リミックス?カラオケのようなもの? コピー&ペーストテクニック? あるいは…。それから、フェスティバルにとって真に重要なものは何か。カバーというものは、作る過程にインスピレーションと自由を吹き込むのである。

カバーというのは言い訳、名目である。それは方法であり、スタイルであり、作るためのインスピレーションである。カバーという行為は音楽それ自体より古い。カバーはタイムマシーンであり、古い作品を操作するための方法であり、再構築のためのユニークな可能性なのである。時に、カバーはオリジナルを掘り起こして流行させる。または、最低でもオリジナルの下に来るようなことはない。

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