ジョシュ・バームガーテン「イラリショナル・ライブラリ」
HAPPENINGText: Ania Markham
アムステルダム中央駅から海に向かう電車に乗り、15分も揺られると、ハーレムという街に着く。ここは、ジョシュ・バームガーテンが住む街だ。ニューヨーク出身の彼だが、現在はオランダ在住。「イラリショナル・ライブラリ」とは、彼が作った造語なのだが、彼こそ「日常生活を、アート、音楽、詩、そしてパフォーマンスによるコラボレーション」で表現を展開するアーティストだ。
イラリショナル・ライブラリが、ハーレムにある個人所有の文化会館、ディ・フェンツファブリックで開催されたのが去年の事。残念ながらこの文化会館は今年の2月に閉館してしまったのだが、閉館するまでの3年間は、ハーレムの街にとっては特別な存在であっただけではなく、ライブミュージック、アート、フリーマーケット、様々なショー、それにビンゴ大会など、実に多種多様なイベントが行われてきた場所だ。この会館で行われたディスコはかなりの盛況ぶり。と言うのも、オランダで流行していたハウスミュージックに対抗するように、ここでは70年代のソウルからヒップホップ、そしてパンクロックを中心に流していたからだ。その他にも、幅広い世代の人たちがこの会館を愛していたのは特筆すべき点。例えば、十代の少年少女達が年輩のアーティスト達と何かについて論議を交わすなんて、そんな風景を今までに見たことがあるだろうか?しかし今年が始まった頃から、賃貸契約が更新できないという理由から人気は低迷。イベント自体がホームレス状態になってしまい、現在もなお、新たな場所を探し求めているのである。
ジョシュが、ディ・フェンツファブリックに姿を表すようになったのは、会館が全盛期だった頃。そこで彼は、会館に出入りする個性溢れる人々と接触するようになる。ロサンゼルスでの活動後、ヨーロッパへの旅を決意したジョシュ。彼が最も惹かれる場所を求めての旅だった。そして彼が辿り着いたのがこのハーレムの街。街のいたる所で発生している、様々な出来事にのめり込んでいくのに、それほど時間を必要としなかったという。
『アメリカにこれ以上いても何も感じないなと思って旅に出たのですが、ちょうどそんな時、ヨーロッパに古くから伝わる豊富な知識は、とても新鮮なものとして僕の目に映りました。新しい人たちとの出会いや、ジャンルがアート、音楽、パフォーマンスであろうと彼らがやってきたことを知ることに、どっぷりとはまってしまった。それまではロサンゼルスの5つ星ホテルでルームサービスをとって仕事をしているような生活でした。確かにそこでは沢山のお金を稼ぎ、ロック界のスターやお金持ちの人たちと知り合うことができました。でも僕は、アメリカでは常に孤立した存在でした。小冊子や詩集、アート作品を作ったりなど、自分の事だけを考えていたのです。でも僕はハーレムに来て、また僕も何かの一員になりたいなという気持ちが芽生えたことに気付いたのです。ここの人たちは、自分の作品に対してはものすごい情熱を注いでいますし、その姿は本当に魅力的です。その頃僕は、地元の友達によく手紙を書いていたのですが、ここでの経験や出会った人たちのことが書ききれなくて、一日に2、3通のペースでペンを走らせていました。友達もその日の出来事や彼が聴いた音楽について、マメに返事をくれていたので、最後には手紙書き大会のようになっていました。』
ニューヨークやアムステルダムで彼が訪ねた人物は誰もが素晴らしい人たちばかりだったが、ヒップホップ色が濃かったため、ジョシュは自己表現として詩という手段を選択。全てのものの簡素性をできる限り保ち、彼がニューヨークで築き上げたパンクロックのバックグランドの影響にその詩を乗せる、というのが彼のやり方だ。どれが好きか嫌いか、何を聴きたいかといった選択肢についてのアイディアにもジョシュは影響を受ける。『誰でも自由に好きなものを選び、それで頭の中をいっぱいにしてもらいたかったのです。自分なりの好き嫌いを作ってほしかったのです。』と彼は語る。
様々な分野からのパフォーマー、アーティスト、そしてミュージシャンを織り混ぜて一晩に集結。そうすることで、イラリショナル・ライブラリには見る側にとっても、多くの選択肢を与えたのである。ジョシュの友人でもあり、ディ・フェンツファブリックのメンバーでもあるマーティン・クルイヴァーは、イラリショナル・ライブラリのデザインを担当することで協力。独特のポスター、フライヤーや出版物を制作した。
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