齊藤智仁

PEOPLEText: Ayumi Yakura

世界で今一番「123」という数字に向き合っている男と出会った。今31歳の彼は、数字の「123」(イチ・ニ・サン)を描き続ける美術家であり、舞台演出家・振付家でもあり、つい数年前までは自ら踊る舞踏家だった。

今年4月から開催している「123」展では、本人も数えきれないほどの「123」を展示。坐禅修行の経験もあるという彼の作風は、極めて繊細でストイックなようでいて、即興のダンスで培われた思想とセンス、そしてユーモアを感じさせる。誰にでも書ける三文字で唯一無二の表現をする男に、いくつかの質問を投げかけてみた。

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Photo: Jpeg Takeshi Oda

まずは、自己紹介をお願いします。

はじめまして、世界で一番「123」という数字を描く男です。どうぞよろしくお願いします。

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© 齊藤智仁

「123」を描いた作品には、これまで身体表現で培ってきたことが生かされているそうですね。いつどのようなきっかけでダンスを始めたのですか?

ダンスはまずストリートダンスというものをやっていました。僕が高校1年生の時のことです。ある日、一つ上の先輩が廊下を背中で回っていました。当時の僕はそれがストリートダンスであるということを知らなかったのですが、度肝ぬかれたというか衝撃だったのを憶えています。頭がくるくるパーマで鼻ピアスをして、浅黒で、靴はローファーではなくアディダスのスーパースターを彼は履いていました。なんか、まわりと全然違う感じでとてもかっこよく僕には写っていました。そこから彼にダンスを教えてもらったりクラブとかでショータイムで踊ったりしていました。この頃は身体表現がどうとかもちろん考えていませんでしたが、ダンスをしてきたことによって人と違う身体感覚を身につけたのは間違いないとは思います。

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「齊藤智仁 × 瀬尾高志」奥井理ギャラリー, 札幌, 2014

舞踏を始めたのはなぜですか?舞踏で表現したいテーマがあったのでしょうか?

僕の中ではストリートダンスの可能性をすごく追求して、あらゆる角度で挑戦しましたので、ある時期勝手に飽きてしまっていたんです。それでも自分の中に表現したい、もっと露骨に言うと、見られたい、褒められたいという空洞があって、その空洞を埋めるために、来る日も来る日も何か別のものを探してました。そんなある日、真っ白のスキンヘッドの気持ちの悪い集団の写真が載っている本を見つけて衝撃を受けました。それは舞踏という名前がついていました。それがダンスであるということ、それが日本発祥であるということ、海外で評価を得ていること、僕は、あぁそんな風にやっていいんだ、と背中を押された気持ちでした。

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「JEAN SASPORTES/TETSU SAITOH 2DAYS at RED BERRY STUDIO」札幌, 2014, Photo: Jpeg Takeshi Oda

具体的に舞踏で何を表現したかったというのは僕にはなかったです。自意識へさらに接近しただけだと今は思います。僕は肌が弱かったから白塗りはしませんでした。はじめは見た目から入ったのですが、僕はどちらかというと舞踏の見た目よりも精神性に影響を受けていたと思います。

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「123 すっⅡ」齊藤智仁, 2014, 660 x 850 mm, 紙に墨

現在は舞台演出や振付などを手がけながら、美術家として活動されていますが、「123」を描こうと思ったのはなぜですか?

「123」にしようと決めました。出家みたいなものだとお考えください。色々な可能性があったかもしれませんが、僕は「123」でいこうと決めました。意味があって決めたのではなく、決めたことによって多くの意味が生まれました。


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