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シュピネライ

PLACEText: Kiyohide Hayashi

美術作品はそれを作るアーティストが生まれ育った国の性格や気質を伝えてくれる。こうした国民性は作品を取り巻くギャラリーや美術館といったアートシーンでも同様に見つけることができるだろう。また国だけでなく地方や都市の性格や気質を、美術作品やアートシーンが色濃く映し出すことがある。

このような独自の性格を持つ都市として取り上げることができるのはドイツの都市ライプツィヒだ。そこにはギャラリーやアトリエなどが集まる巨大な施設「シュピネライ」がある。そしてライプツィヒという街の性格を強く感じることができる場所となっている。

シュピネライ
Event “Rundgang”, Nils Petersen, 2012 © Spinnerei

ライプツィヒは50万人以上の人口を抱えるドイツ東部の都市。ドイツの首都ベルリンから南西約120キロのところにあり、ベルリンから1時間ほどで訪れることができる数少ない大都市の一つでもある。かつては作曲家のヨハン・ゼバスティアン・バッハがこの街で創作活動を行い、以後も多くの作曲家が活動したことから音楽の都として名高い。

また第二次世界大戦後は東ドイツに属し、東ドイツ時代末期にこの地で起きた民主化運動がドイツ統一を導いたことでも知られている。このように文化的に、そして歴史的にも非常に重要な都市ライプツィヒだが、近年になって美術の世界でも重要となってきた。その火付け役は「新ライプツィヒ派」と呼ばれるライプツィヒを拠点とする画家たち。彼らの多くがアトリエを構え、作品を展示したのがここ「シュピネライ」なのだ。

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Areal view, Thomas Riese, 2008 © Spinnerei

「シュピネライ」が位置するのはライプツィヒの中心部から少し西に外れた地区。工場が軒を連ねる郊外の工業地帯にある。そもそも「シュピネライ」とはドイツ語で「紡績工場」を表すように、ここは紡績工場だった。19世紀末に設立され、20世紀初頭の最盛期にはヨーロッパ最大の紡績工場だったという。今も往事を偲ばせる重厚な煉瓦作りの建物が立ち並び、建物の間には多くの綿を運んだであろう鉄道の引き込み線が残っている。

しかし輝かしい時代は過ぎ去り、二つの世界大戦、東西ドイツ分裂、そしてドイツ再統一といった多くの歴史的出来事を見届け、1993年にその役割を終えた。残されたのは90.000m2以上に及ぶ敷地と、歴史を感じさせる古めかしい建物。その後は別の産業に使用されることもあったが、広大な空間は文化的活動の場へと移り変わっていく。その始まりは1990年代中頃から多くのアーティストたちが工場の建物にアトリエを構えたことだった。

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