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シュピネライ

PLACEText: Kiyohide Hayashi

「シュピネライ」に最初にアトリエを持ったアーティストの一人であるネオ・ラオホ。彼は「新ライプツィヒ派」を代表する画家と言われている。他の「新ライプツィヒ派」の画家たちと同様にライプツィヒの美術アカデミーで学び、人物や風景といった具象的な絵画を描いている。彼の作品に見られるのは、巨大なキャンヴァスの上に展開する、歴史や神話を彷彿とさせる不可思議な物語だ。

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Neo Rauch, Abendmesse, 2012, Oil on canvas, 300 x 250 cm, courtesy Galerie EIGEN + ART Leipzig/Berlin and David Zwirner, New York/London © Spinnerei

また絵画の巨匠の引用が見られ、絵画の伝統が息づいている。こうした伝統を取り込むことは「新ライプツィヒ派」の多くに見られる特徴だ。なぜなら彼らは「鉄のカーテン」によって隔絶した東ドイツで、時代や流行に流されることなく伝統と向き合ってきからだ。それは別の国から見れば懐古的であり、特殊なものとして受けとめられるかもしれないが、東ドイツに住んでいた人々のリアリティーでもあったのだ。

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EIGEN + ART Leipzig © Spinnerei

このような東ドイツの美術を取り扱う上で忘れてはいけない人物がいる。ネオ・ラオホを含む「新ライプツィヒ派」を世界へと紹介し、一躍有名にしたギャラリスト(美術商)ゲルト・ハリー・リィブッケだ。彼は1983年ライプツィヒにギャラリー「Eigen+Art」を立ち上げて以来、東ドイツのアーティストを中心に取り扱い、ドイツ再統一後の世界展開によって「新ライプツィヒ派」の名を世界的なものとした。

そして2005年にはギャラリーを紡績工場跡地へと移転させたことで、「シュピネライ」はアーティストの制作場所と作品の展示場所とが一体となっている。以後も多くのギャラリーがスペースを開き、折しも「新ライプツィヒ派」が世界を席巻したことも重なり、世界中のコレクターや美術愛好家が列をなして訪れる場所となっていく。こうして「シュピネライ」は、ライプツィヒの現実を反映した美術によって、広大な空間が生み出すものを繊維産業から文化活動へと変えることに成功したのだ。

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