チームラボ「藝術超未來」展

HAPPENINGText: Kurando Furuya

秩序がなくてもピースが成り立つ 

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台湾第二の都市である台中、国立台湾美術館で開催されている「We are the Future(藝術超未來)」展は、“ウルトラテクノロジスト集団” のチームラボがこれまでに手がけた美術作品と、商業的作品の両方を同居させた総合的なエキシビションだ。

新作の12個のディスプレイからなるアニメーション絵巻「花と屍 剝落 十二幅対」、映像の尺が100年の映像作品「百年海図巻」のようなアートピースから、手に取ると関連した映像が流れるハンガー「チームラボハンガー」や、早乙女太一の講演に併せて製作したプロジェクションマッピング映像「剣舞/影絵」など、20以上の作品が展示されている。

映像作品が多く薄暗い展示会場の中で、ひときわ異彩を放つ「秩序がなくともピースは成り立つ」は本展用に作られた新作。暗闇の中に無数に並べられたスマートフォンひとつひとつに小人が配置され、それらが個々にコミュニケーションしながら、手にした楽器や唄で祭り囃子を奏でる。この携帯端末同士のコミュニケーションには主体はなく、各々が近くの端末に呼応しあって大きな全体のインタラクションに繫がっていく。

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「秩序がなくともピースは成り立つ」チームラボ, 2012. インタラクティブアニメーションインスタレーション、スマートフォン 音楽:高橋英明 声:福岡ユタカ 協力:HTC

今までのチームラボの作品は大きな映像の一枚絵でしたが、今回は小さなディスプレイの集合体ですね。

例えばルーヴル美術館で展示した「花と屍 アニメーションのジオラマ」という作品は大きな風景があって、その中の小さな登場人物の物語を描いているのですが、大きなディスプレイに多数の登場人物が登場するよりも、小さなディスプレイに一人一人の登場人物が物語を紡ぐ手段として有効というのは以前から気付いていて。暗闇の中に無数の登場人物を配置することで、空間自体は抽象化して、ひとつひとつのスマートフォンが映像の彫刻のように浮かび上がる。ちょうど、子供の時に自分の部屋の中に“キン消し”を並べたら、自分だけの世界ができあがる、キャラクターのみで架空の世界が作れる、そういう感覚です。

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「花と屍 アニメーションのジオラマ」チームラボ, 2008. アニメーション, 12min 28sec 音楽:[椎谷ハレオ(サウンドディレクター)+阿尾茂毅(作曲(Ending Ambient)&ミキシング&レコーディング)+渋谷慶一郎(第3項音楽)+山川冬樹(ボイス(ホーメイ))+シュリ(ボイス)+武田朋子(篠笛)+内藤哲郎(和太鼓)+高野山真言宗総本山金剛峰寺(声明常楽会)/和歌山県高野山(フィールドレコード)]

今回の作品の登場人物たちは鑑賞者に反応したり、お互いのアクションに呼応して楽器を演奏したりと思い思いの動きをしていますね。

今回の作品で伝えたかったことはいくつかあるのですが、まず「抑制されていない、アンバランスなものの美しさ」というテーマがひとつです。昔の日本人は不完全なものの美を知っていました。例えば竜安寺の石庭、禅寺の石のカタチ。大自然の中で“いびつ”な、エネルギーの塊をピックアップしています。盆栽も同様、小さな器の上に、めいっぱいの生命が溢れ出た小宇宙になっていますよね。アジアのデザインはエネルギーを解放するようなもので、逆にヨーロッパのデザインは抑制によって成り立っていると思います。

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早乙女太一☓チームラボ[吉例] 新春特別公演「龍と牡丹」-剣舞/影絵-

それは具体的にどういうデザインのことでしょうか?

例えば西洋の庭であれば左右対称のデザインをしたり、木も刈り込んで抑制を加えることでデザインする。日本の庭は自然の中で、人がエネルギーの塊って感じるものをピックアップして、それをありのまま配置しています。
もちろん現代でもそれは続いていて、西洋のファッション誌はレイアウトもシンプルで、セーブすることでデザインされていますが、日本のファッション誌では本質的には逆で、特に「小悪魔AGEHA」などでは混沌としたレイアウトで、アジア的なエネルギーで満ち溢れています。欧米では「バランスが取れていることが気持ち良い」という文化が発展して、日本は「アンバランスなものの中の美」が気持ち良いっていう部分が発展したのだと思います。

そういう個々のエネルギーを暗闇の中に配置したという状態ということでしょうか?

各々エネルギー溢れる“個”がそれぞれ解放された状態で並んでいて、ひとつの世界観を紡ぐことができるのではないかと思ったのです。今回のスマートフォンの小人たちも生命をつくって、自由に解放されている状態。まさにお祭りの時の解放された人々が、無数のスマートフォンの中に存在している。その小人たちがお互いにコミュニケーションして、上手く行けばお祭りの状態になります。

具体的にこの作品を作り上げたプロセスを教えてください。

今回の展示は回顧展ですが、どうしても新作を入れたかったのです。それで台湾の携帯メーカーのHTCお願いしました。展示始まる4週間くらい前にコンタクトして、2日後には必要な台数を確保したと連絡がきました。開発も大急ぎだったので、先方のエンジニアが端末6台をもって台北から羽田に持ってきてくれて。チームラボのエンジニアも羽田に出向いて、すぐ仕様のディスカッションをその場でしました。

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秩序がなくてもピースはなりたつ

ずいぶん、ダイナミックな制作プロセスですね。

彼らもテクノロジーもアートも大好きなので、すぐに協力してくれました。音楽はチームラボとたくさんお仕事をご一緒させてもらってる高橋英明さん。今回はスマートフォン1台1台から音楽を奏でて、それがハーモニーになるので、ベースになっているのは小人たちの足音。近くにある携帯が発している足音に足並みを揃えて、それがベースになっています。近くのものに同期して広がっていくというコミュニケーションです。小人たちが持っているのは、笛、小太鼓、大太鼓、鐘、琵琶、横笛、あとは唄を歌うんですが、ボーカルは昔のニュースステーションのオープニングテーマも手がけている福岡ユタカさん。高橋さんが僕らのコンセプトを完璧に理解してくれて、最初にあがってきた音を聴いた時にはあまりに本格的すぎて思わず笑ってしまって。あとアニメーションはチームラボのビジュアルディレクターの寺尾(実)がディレクション、伊藤(篤史)をはじめアニメーションチームがCGに動きをつけたのですが、阿波踊りをベースにした踊りの動きをつけて、チームラボのコンピュータービジョンチームの加藤(哲郎)が実際の人の動きなど外界を認識して、いろんな情報をもとにチームラボのエンジニアの坂下が小人たちをインタラクティブに動かしています。スマートフォンが置かれている場所の温度が上がりすぎるとか、長時間連続稼働の問題だとか、電気供給の問題だとか、現地で大量のスマートフォンを設置してはじめてわかる問題が多すぎて、オープン時は全く完璧な状態にできなくて、そのまま坂下は現地に残って、(7月3日現在も)台湾で、色々な問題を解決させています。7月に入ってようやく良い状態になっています。

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秩序がなくてもピースはなりたつ

なぜスマートフォンなのですか?

スマートフォンはカメラが目、マイクが耳、スピーカーが口、ディスプレーが顔と捉えると、表現できる人間みたいなものですよね。今回、この作品を作りながらグーグルのスマートフォンがなぜ「アンドロイド」(人工生命体)と名付けたのかに改めて気付いたりして。まさに人間に近い人工的な知能=アンドロイドだなと。
スマートフォンはワイヤレスでほぼ人間のようなコミュニケーションができ、外界を知覚できる。ディスプレーとスピーカーで表現もできる。お互いのネットワークのある人間みたいなものです。

今回の作品はどこかひとつのPCが制御しているわけではなく、本当に個々がコミュニケーションとっている状態ということですね?

Wi-Fiには同時接続数の限界があるので、すぐ近くの端末としか本当にコミュニケーションしません。なので近くの数台から順番に情報がさざ波のように伝達している状態です。インターネットも近くのサーバとかルータを経由していることと同じことです。インターネット社会は西洋よりもアジア的だと思っていて、インターネットの構造は、ほぼルールもない。中央がない。最低限のルールだけで、ある程度社会が成り立っている。それに近いかもしれない。

自主規制というものもありますよね。

あれは本当は解放されたインターネットというものに、中途半端な西洋の概念の入った状態。西洋の概念で「平和」っていうのは、法による秩序とか異物を駆逐することだったり、力による抑制だったりというのが西洋的。その点、昔のアジアは違っていたのではないか、という思いがあって、例えば、僕は地元が徳島なのですが、阿波踊りにいくと、そこには秩序はないし、曲をひとつをとっても指揮者もいなくて、誰かがリズムを叩くと、各々勝手に乗っかってくる。それで祭り全体が成り立つのです。

フリージャズとかに近いイメージでしょうか?

ジャズは良くわからないのですが、もっと自分本位な行為だと思います。ジャズは相手の呼吸に合わせて「そうきたかっ!」という音を被せると思うのですが、阿波踊りは人がどう思うと関係ない。みんなテンション上がっているし、僕もテンション上げようという、もっと抽象的で自分のためのものなのです。

阿波踊りには軸となるメロディとか、BPMとかそういうルールはあるのですか?

リズムは全体でなんとなくありますが、メロディに関しては完全にない。だから実際にあのお祭りを体験すると驚愕すると思います。全員が自分中心にコミュニケーションしていて「みんなテンション上がってきたから、オレもテンション上げようか」という状態。

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秩序がなくてもピースはなりたつ

今回の作品には阿波踊りでの体験が影響しているのですね。

僕が酔っぱらって、阿波踊り最中に『見てくださいよ、秩序がなくても平和は成り立つんです。西洋社会はミスを犯したんです』って、口走ったのですが、それを一緒にいた人が感銘を受けてくれて、その時は言ったこと事体も忘れてたのですが、とにかく阿波踊りは完全に秩序がない状態なのに、ピースな空間なのです。阿波踊りはほとんどケンカが起きません。みんな酔っぱらって、踊り狂って、“ルールがないのにピースが成り立つ”。その状態に気付いたことが、この作品のベースです。あとで気付いたのですが、チームラボという会社もそういう分散型ネットワークの組織を理想にしているかもしれません。

たとえばどういう分散型ネットワークが行われているのですか?

今回の台湾での個展の場合、全体に完全に把握しているディレクターは誰一人いないという状態で実現したのです。それでも展示することが決まって、たった二ヶ月で20数点の作品を並べた展示を成立させました。携帯とインターネットのおかげでありえないスタイルのコミュニケーションで進行したのです。例えば、毎回美術館との窓口に色々な人が出てくる。誰も今回の展示を専任せずに進めて、美術館のスタッフも当初はだいぶ混乱していたのですが、そのうちチームラボの分散型ネットワークに適応してくれました(笑)。

良い話ですね。

普段、アニメーション作品を実現したければ、裏側に同期のとれたPCを複数台置いて映像を出力するとか、プログラムを走らせるとかの展示形式をとっていたのですが、スマートフォンは究極の一体型で単体でコミュニケーションと表現ができる。今回の作品は中心にコンピューターがあるわけではなくて、スマートフォンひとつひとつが個別のコミュニケーションを取っている。独立したスマートフォン同士でコミュニケーションとっているので、誰かほかの小人につられて盛り上がる瞬間もあれば、全員がほとんど無音になる瞬間もある。携帯同士のコミュニケーション、センシングの感度で、本当にまるで人間社会っぽくなるってことがわかったのです。阿波踊りの中で思ったネットワーク社会の新しい社会のありかたのヒントみたいなのを実現させた作品なのです。20世紀の西洋的なやり方ではなくて、もっと昔のやり方、西洋文化ではない社会に未来のヒントがあるのではないだろうかと、僕はいつも思っています。

「We are the Future(藝術超未來)」展
開期:2012年5月26日(土)~8月12日(日) 
時間:9:30~16:30(土・日曜日17:30まで)
定館日:月曜日
会場:国立台湾美術館 DigiArk
住所:台中市西區五權西路一段2號
入場料:無料
http://www.ntmofa.gov.tw

Text: Kurando Furuya

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