キム・カスコーン

PEOPLEText: Shintaro Miyazaki

70年代後半、ボストンのバークリー音楽大学で電子音楽について勉強した後に、エレクトロニクス・フォー・メディスン(Electronics for Medicine)という会社で働いていたそうですね。その頃の様子を教えてください。

電子音楽への興味が増すばかりで完全に電子音楽に集中したいと思い、1976年にバークリーを後にしました。そうして、グリニジビレッジの音響専門学校で音響エンジニアの勉強を、マンハッタンのミッドタウンの専門学校で電子音楽理論について学びました。その頃、ニューヨーク北部にあるエレクトロニクス・フォー・メディスンの貯蔵庫係として雇われて、当時はそこに住んでいました。4年間働いた後、エンジニア技術者へ昇進して、そこで電子工学について相当な知識を得ることができました。その頃、どうしても欲しかったシンセサイザーARP2600を買える余裕がなかったので、一からアリーズ社のシンセサイザーを組み立てました。クライアントのために、巨大なモジュール式のシンセサイザーをデザインして作ったこともあります。そうした経験から、他のミュージシャンにではなく自分に作ってみることを決めました。

80年代はカリフォルニアに住んでいますね。ニューヨークから移り住んでみてどうでしたか?

1982年にサンフランシスコを訪れたのですが、非常に気に入りました。当時は、ニューヨークに住んでいましたが、家主と訴訟の真っ只中でした。精神的にも金銭的にも限界に来ていたので、素晴らしいアートや音楽のあるサンフランシスコに引っ越したかったのです。子供の頃、ヘイトアシュベリーについての雑誌記事を読み、その街や文化に魅了されていきました。芸術的探求者である私にサンフランシスコはぴったりでした。しかし、カリフォルニアのライフスタイルに順応するまでには少し時間が必要でした。当初は、四季がない中で生活していくのは大変だと思っていましたが、今では逆にそれが心地よくなってきました。

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デビット・リンチ監督の有名なアメリカのTVドラマ「ツインピークス」に関わったときのことを教えください。

1989年頃、録音作業の大半を行っているスタジオで映画の音楽を作る仕事をしていました。一つの仕事が次の仕事に結びつき、最終的には、バークレーにあるソウル・ゼインツ・フィルム・センターで働いていました。そこで出会った人に、ツインピークスのフィルムの編集クルーとして雇ってもらいました。

サウンドデザイナーとして、日本のアニメ映画にも携わっていますね。どの作品でどんな音楽だったか教えてください。

アニメ映画のサウンドについては分からないです。どこで聞きました?「鬼」というアニメゲームの仕事はしました。それのことでしょうか。

好きな日本のアーティストはいますか?

秋田昌美の作品には長年注目しています。昔、アスムス・チェチェンズと彼と私で「GRAV」というCDをサイレントレコードから出しました。それから、昌美と2人でサブローサのコラボCDを出しました。彼と友達でいられることを非常に光栄に思っています。本当に優れたアーティストです。

今後の予定についてお聞かせください。

最近、バルセロナのストゥルングレーベルからCDを出しました。「シネマティック・サウンドスケープ」と呼んでいるシリーズの一つです。今夏には、ポーランドのレーベルから新しい仕事をしており、その中で話される言葉を書いています。いつかは、ラジオドラマを手掛けてみたいと思っています。他にもいくつかプロジェクトを抱えていますが、現段階ではお話できることはないです。

Text: Shintaro Miyazaki
Translation: Kazunari Hongo

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