ニューライフ・ベルリン・フェスティバル

HAPPENING

ニューライフ・ベルリン・フェスティバルオペラを歌ってみよう。テレビスタジオのオーディエンスになってみよう。それとも、お気に入りの俳優の映画に出演をお願いされようか。一見、バーチャルエンターテイメントセンターのように思えるかもしれない、しかし、それは「ニューライフ・ベルリン」という参加式のアートフェスティバルなのだ。Wooloo.orgというサイトのオンラインアーティストのキュレーションだ。

アーティスティックなキュレーター、マーティン・ロセンガード、シックステン・カイ・ニールセンがフェスティバルのプログラムを構成するため千個以上の候補から30のプロジェクトを選び抜き、Woolooサイトを候補者のミーティングポイントとし、情報や会話の場として活用した。今回が彼らにとって初めてのフェスティバルで、2009年にデンマークで次のフェスティバルを行なう予定がある。

ニューライフ・ベルリンの幕開け、アーティスト・ランのアプローチは珍しいものではなかったものの、フェスティバル全体を作り出した、そして記録するインターネットの使い方が斬新だと感じた。MyspaceやFacebookのように、アーティスト達はオンラインでプロフィールを作り、登録することができる。それらはアーティスティックな試みのプレゼンテーションとして作成されており、「Open Dialogues」で見れるよう、ブログを通してオープンな談義が批評家とのコラボレーションで行われている。

アートの「見本」の認識、そしてそれがどう機能するかがこのフェスティバルのテーマの核であり、まだまだたくさんの見込みと議論があるが、コミュニケーションのこれまでの構造やアートプロモーションがインターネットの取り巻きによって今までよりも開かれたことは言うまでも無い。

ニューライフ・ベルリン・フェスティバル
Opening Night © Jonathan Groeger


とても暖かく、晴れた日だった。8人のアーティストと約二週間一緒に過ごし、有名な映画の架空のキャラクターを演じるという、ペルーのアーティスト、セルジオ・セバロスによる企画の「Fictive Days」をチェックするために東ベルリンのプレンツラウアー・ベルクに向かった。観客にドアを開けてパブリック・パフォーマンスをしている彼ら。すでに中がどうなっているのか、そして実際に生きているアーティスト達がどれほどキャラクターになりきれているのか、すでに好奇心をそそられてしまった。エクソシストのとりつかれた少女、レーガンになりきるのは二週間普通の生活をしていたらとても簡単ではないだろう。特に、もしもあなたが「ゾルバ・ザ・グリーク」のゾルバと部屋をシェアしていたならなおさらだろう。

フロントドアに向かう途中ですでにフロアは手にビデオカメラを持った人々で混雑していた。それぞれのキャラクターのテイストに合うように作られた部屋がアパートの中に4つある。売春宿のようなスタイルに手の込んで飾られたインテリアに囲まれて横たわっているのは、ゴールドのドレスを着た傲慢な表情の足の長い女性が、誰かと思えば映画「フラッシュ・ゴードン」のオーラ姫だと言うではないか。実はこの女性はアーティストのヴェ・マグニで他の参加者のようにこのプロジェクトに申しこんだ中から選ばれ、こうしてパフォーマンスしているのだ。

ニューライフ・ベルリン・フェスティバル
Fictive Days © Andreas Bastiansen

彼女のストーリーを説明するあたりがとても面白く、なぜか僕はのぞきをしているように感じた。フラッシュ・ゴードンに対する彼女の愛と彼女の父の宇宙に存在するパワーのリサイタルはとても陳腐に思えたが、観客は彼女の動きを録画し、たまに質問をして楽しんでいたようだ。そんな時、隣の部屋で僕が気になっていた、エクソシストのレーガンを演じているアーティスト、アメリア・ジェオコスを見つけたのだ!ベッドに縛り付けられ、助けを求めて泣き叫び身もだえしている彼女。スピリットを集める機械のようなものに彼女の手首は長いコードにつながっている。面白くもあるが、正直怖い。手を取りベッドから出せと要求されたが、呪いをかけられるか手をかじりとられるのではないかと恐怖で断ったのだ。

ニューライフ・ベルリン・フェスティバル
Fictive Days © Peta Jenkin

全てのキャラクターが、役に全身全霊を捧げていたというわけではなかった。最近「Fur」という写真集を出した有名な写真家、ダイアン・アーバスを演じていたニッキー・ジョンソンがこのプロジェクトで役を演じることについて快く話をしてくれた。

『これまでのところ、プロジェクトはとても興味深いものになっていると思うわ。私達は役をみんな違う形で解釈しているの。何人かは本当に役を忠実に再現しているし。ニューヨークに住んでいる写真家としては、ベルリンに来てまでこういうリスクを負うプロジェクトに参加できることは本当に素晴らしいことだと思うの!誰も展開を予測できなかったし、そこがまた面白いのよね。』

「エリザベス女王」がビールをくれたり、いろいろなアーティスト達と話をしていたら時間が過ぎていった。そして時間の経過とともにムードが変わる。これはパーティでもエキシビジョンでもない、これはベルリンの土曜の夜の人々の奇妙なアソートメントだろうか。参加者の一人が、9時頃ロケットでパフォーマンスを行ったが、残念なことにすぐに失敗に終わってしまった。それはこの興味深いプロジェクトにとってとても滑稽なエンディングになってしまい、プロジェクト自体の成功に何とも言えない感想を抱いてしまった。見る側からとしてはとても好奇心をそそられる体験だったと言えるが、僕はこのようなタイプのパフォーマンスアートに対し、答えよりも疑問を多く持ち帰ってきてしまった。

「Fictive days」が映画のキャラクターを主に使用していたのに対し、「Assisted Living」は違うタイプを用意していた。生のテレビスタジオだ。マルチメディアアーティスト、マリサ・オルセンはフェスティバルの最後に向けてファイナルプレゼンテーションとしてテレビショーを行った。観客はスタジオに座り、オーディエンスとして参加でき、ショーのためのメンバーの募集がウェブサイトから消えた。

ニューライフ・ベルリン・フェスティバル
Assisted Living © Viviana Druga

ベルリンの中心にあるアレクサンダー広場のすぐ近くに、すぐにでも壊れそうな建物にスタジオはセットされていた。アーティストはアメリカのマーサ・スチュワートのテレビショーのパロディの役を演じ、巧みなクラフトプロジェクトや、2030年頃のとんでもなく技術的に進化した架空のオーディエンスを相手にしたレシピなどを紹介した。将来デイタイムのテレビ番組がこんな風になるのかと想像し、環境問題を意識し、暑さをしのぐサラダ(放射能による気温の上昇の影響)や、家具のしみ抜き(地球上の素面上昇の影響)等が短いデモンストレーションで紹介され、15シリーズがファイナルショーとして記録された。

ニューライフ・ベルリン・フェスティバル
Assisted Living © Viviana Druga

蛍光色の特大の支柱、プロデューサーが後ろから説明を叫んでいたり、ライトの下でマリサがヘッドフォンで喋ったり、僕はテレビの皮肉なアプローチをとても楽しむことができた。しかしなぜ彼女が「ニューライフ・ベルリン」に参加したのか気になった。

『アートと行動主義のクロスオーバーがこのフェスティバルの魅力だと思うの。もっとリスクを負うような仕事をしてみたいと思うわ、それは私のテレビショーの範囲を広げることができると感じるから。募集をかけるプロジェクトにはいつも偏見があるけれど、それは特定のエキシビションに合うかどうかということだけなのよ。』

ベニスでのビエンナーレ、ホイットニー美術館でのショー、そしてアメリカン・アイドルでの一回限りの作品の中で、マリサ・オルセンはすでによく知られた名前となっていた。それがまた「ニューライフ・ベルリン」を興味深いものにし、たくさんのアーティストがいる中で、何人かは他の人々よりもキャリアを積んでいるが彼らの名前だけで揃えているわけではない、素晴らしいセレクションができたのだと思う。

参加型のアートは簡単に社会で実験でき、アーティストが彼ら独自のセオリーと実行を怪しまれながらも公共の場でテストできる。「ポウェル・オペラ〜非音楽家のためのミニオペラ」と称し、パブリックからオペラを作り上げるためメンバーを集め、一回のリハーサルのみでフェスティバルの最後の日にパフォーマンスを行った。

一回のみのリハーサルで、果たしてどうしたら未経験のシンガー達とパフォーマンスをうまくやり遂げることができるだろうか?アーティストでもあり作曲家、そしてこのプロジェクトのディレクターでもあるフランク・レボヴィッチに話を伺った。

『実験をしてみようという気持ちがあったんです。ジョン・ケージやクリスチャン・ウルフのような社会的行動としての音楽の可能性を開拓した、60年代の実験的な音楽の精神に基づいてるんです。このパフォーマンスでは、階級も拍子記号もありません。詠唱とグループを順にまわしていくというシリーズなんです。』

ニューライフ・ベルリン・フェスティバル
Opera Rehearse © Viviana Druga

結果はもっと混乱したものにもなり得たが、実際メロディーが眠気を誘い、詠唱に一人の声が区切りをつけていくようなものだった。参加者の一人、アントニオに感想を伺った。

『普段は歌を歌ったり楽器を演奏することはないんですが、こうして参加して、遊びに理由を持つのは楽しいです。ただ、パフォーマンスでは他の人々が歌い終わっているのにまだ僕は自分のパートが残っている所があり、観客の目が自分一人に向いたときはすごく恥ずかしかったです!』

ニューライフ・ベルリン・フェスティバル
Opera Perform © Viviana Druga

パフォーマンスに訪れた人とアーティストを引き付けることはコミュニティのような感覚であり、共同体として人々は新しい表現の方法で斬新な作品を創ることができる。観察者でいるよりも、遥かに思い出に残る経験になるだろう。最後のオーディエンスの評価の結果のメリットをとるよりも、参加者自身の経験の占める割合の方が多いのではないだろうか。

ポウェル・オペラの後、参加型の「イート・ザ・ウォール」という作品をほぼ完成間近だったが見ることができた。街全体が食べ物でできていたら、どうなるだろう?アイスクリームのコーンでできたタワー、リコリスでできた道、郊外はパンのスライスで埋めつくされている、もちろん持ち運びできるほどのサイズだが。そしてそれが作り手によってむさぼるように食べられているのだ。これはAli&Ciaの「イート・ザ・シティ」というプロジェクトの一環で、ベルリンバージョンでは人々は壁をつくるための食べ物でできたレンガを持ってくるよう事前に伝えられ、そして少しずつ「カタルシスを楽しみ、バリアを壊し、相違に橋を掛け、関係をもつ」ために、むさぼり食べるのだという。

僕だったら二つレンガの食べ物を持ってきただろう、派手な色のダンキンドーナツをプラスチックのコンテイナーに入れて、もう一つはヘルシーなオプションとしてオーガニックのバナナチップスでも入れようか。

ニューライフ・ベルリン・フェスティバル
Eat The Wall © Nicola Kuehne

分けられた食べ物と無差別のパレットは売りに出されており、イタリアンソーセージからマシュマロ、そしてちょっと気持ちの悪い見た目のドイツのリバーパテまで様々だ。そんな場所なので、集まる人々も様々で、オーストラリアからの若いバッグパッカーやベルリンの地元の人々、イタリア人も少し見かけ、フェスティバルの常連と共に楽しんでいたようだ。

さて、僕達がしなきゃいけないのは食べる事と飲むこと、アーティスト達は人々に壁のレンガをとるよう呼びかけ、他の人々にも渡して食べてもらうよう促した。80年代後半のベルリンの壁の崩壊の最条令ではないが、代わりに、ヒッピーを意識したような共同の食事のセレモニーのうようで、おなかが減っていれば自然と楽しめるものだ。

このプロジェクトはロンドンとオーストラリアのメルボルンで行われたものをスケールダウンしたバージョンで、地元の人々とコミュニティーグループで少しずつそれぞれの都市を作り上げたものだ。これらの大きなイベントはベルリンでの小規模なものより、さらに反響があっただろうと想像できる。多くの人々が製作に協力し、知覚的なイベントに参加し、アーティストの食のパワーを唱えることに共感できたであろう。

計画的に、参加型の作品の自然な流れとなった。イート・ザ・ウォールのアーティスト達はイート・アートの今までと違った流れで彼らの作品をテストすることができ、これからのこのプロジェクトにいい影響を与えたと思う。

ニューライフ・ベルリン・フェスティバル
© Viviana Druga

今日膨大な量のクリエイティブなコンテントに囲まれ、アートの世界が転換を唱えている中、参加という、直接観客と作り上げる工程を通してとても新鮮なプログラムを発見することができた。なぜかというと、例えば参加者はリアリティー番組の唯一の分野であるべきか?恐怖と感情を表し、上昇志向の富と美の考えのもとの鈍いステートメントに終わるのがほとんどである。「ニューライフ・ベルリン」に参加したアーティスト達はもっと芸術的である。そして彼らはリスクを負う覚悟ができていた。議論の余地があり、リスペクトに欠けていたかもしれないが、僕はもっと見たいという気持ちを押さえ切れていない。

New Life Berlin Festival
会期:2008年6月1〜15日
会場:ベルリン、ドイツ
http://www.wooloo.org/festival/

Text: Peta Jenkin
Translation: Junko Isogawa

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