ラリー・サルタン

PEOPLE


ラリー・サルタンの「ザ・バリー」という写真シリーズは、サン・フェルナンド・バリーの中流階級の家と、その家を映画用セットとして貸し出しているポルノ産業を映しだすものだ。ブルックリンに生まれ、バン・ナイスのバリーで育った彼は、いくつもの顔を持つこの地に対して独特の視点を持っている。90枚のフルカラー写真をフィーチャーした作品集が最近発売された。

ロサンゼルスという都市の中心に横たわる本物のアイデンティティを探るには、山を超えてサン・フェルナンド・バリーに向かわなくてはならない。バリーはロサンゼルスの一部ではあるが、たいてい“LA”と言うとここは外れており、ハリウッドやベニス、ダウンタウン、ビバリーヒルズ、シルバーレイクなどを指す。バリーは“平穏”を大切にしていて、(それはおそらく目立たない街だからなのだが)、“快適な暮らし”とは何かの模範であろうとしている。 50年代から60年代にかけて、中流のサラリーマン階級の家庭が、郊外に庭付き(プールももしかしたら)の一戸建てを手に入れられるチャンスが到来した時期があった。ラリー・サルタンの写真で大きな要素を占めるのは、この“郊外の家”なのだ。現在バリーに存在する、カーペットがきちんと敷かれ、車庫は2つ、豪華な天井や暖炉のある広大な面積を持つ家々は、チャッツワースのような眠ったコミュニティで制作するアメリカのポルノ映画産業を支える場所となり、年間にして90億ドルにも達するお金を生み出している。絶大なるポルノ産業のお陰で、おそらく世の中の男性は、知らず知らずのうちにこの“おかしな”場所を目にしていることだろう。そしてサルタンの作品のお陰で、ポルノ映画が撮影される建築物についてより良く知ることができるだろう。

バリーは、サルタンの心の中に長くあった場所だ。彼は1983年に「ピクチャーズ・フロム・ホーム」(下の写真はそのシリーズに収録されている彼の両親)というシリーズを撮り始め、彼自身“おかしな場所”と呼ぶバリーの生活を、とても個人的に切り取った。

どういうわけか、その“おかしさ”は彼の心を放さなかったようで、6年前にポルノシリーズを撮り始めた。しかし彼は「私が性に関する写真を撮るなんて自分でも驚いているよ。」と話している。そして、写真がそれを物語っているのだが、このシリーズは軽はずみなものではなく、撮影のためにサンフランシスコの自宅からこの場所まで約100回も足を運んだという。写真は、セックスの行為自体ではなく、奇妙ではあるが魅力的なこの環境と、そこに存在する“ゲスト”とのコンビネーションを美しく表現している。「快楽とミステリーというカップルほど私の心を動かす物語には出会ったことがない」と彼は説明する。

だが、みんながポルノ“スター”であるこの業界の人間との関係はどうなのであろうか?写真のなかでは、ほとんどの場合が全裸かほとんど何も着ていないのが常である彼らとしてはめずらしい、繊細さやカジュアルさを見せ、そこでは“スター”としては写されない。「それが演出の幅を広げるんです」とサルタンは考えている。
「彼らは、サーカス団のように、とても強くつながったコミュニティなんです。私がこのようなセットを好きになればなるほど、周囲も快く応じてくれます。ポルノ映画を撮影しているアシスタント達は、ライティングの仕方について、プロデューサーは私の作品にとって興味深いセッティングについて助言してくれます。」そして映画に出ているモデルの繊細さを引き出すのは想像以上に難しいようだ。「彼女達はポーズが一番の決め手である“かわいい女の子”を演じるのに慣れているのです。私がそういう写真を撮りたいのではないというのを理解してもらうのには苦労しました。」と話す。

コマーシャル・フォトグラファーとしての副業を持つ彼は—(ちなみに現在MoMAで開催中のエキシビジョン「ファッショニング・フィクション」で展示されている、ケイト・スペードのキャンペーンは彼が手掛けたもの)- 構図やその色彩感覚において素晴らしいセンスの持ち主で、彼の写真を見ればわかって頂けるとは思うが、冴えたユーモアセンスの持ち主でもある。決して簡単なテーマではない彼の「バリー」シリーズと新しい作品集は、彼を次なるジェフ・ウォールやジョエル・スタンフェルド、フィリップ・ロルカ・ディコルシアのような、本物のビジュアル・ストーリーテラーへと導くであろう。

Text: Reto Caduff
Translation: Naoko Fukushi

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