ニューヨーク・ブラックアウト

HAPPENING

それは、午後4時を少し回った時だった。外での用事をすませた僕は、オフィスがあるビルへちょうど戻ったところだった。廊下を歩いていたら、ビル全体のライトが、一瞬にしてすべて消えたのだ。デスクに戻った僕からは、何が起こったのかをまったく把握しきれていなスタッフの顔が見えた。「ファイルを保存してなかった。これじゃあ、またはじめっからやり直しだ」と嘆く人もいれば、停電が終わるまでの暇つぶしにと、おしゃべりを楽しむ人もいた。


電気は、数分経っても復旧しなかった。そして何気なく窓の外に目をやると、ビルの向いにある庭に、人々が集まっているのが見えた。そこで初めて、電気が落ちたのは僕達のビルだけではなく、同じブロック内にある他のビルの電気もやられていることに気付いたのだ。ビルの窓から身を出して外を確認する人や、何が起きているのか、通りを見下ろす人などが大勢いた。

それからどのくらい経っただろう。しばらくしてから、僕達のブロックだけではなく、800万人が生活するこのニューヨークの街全体で停電が起こっているというのを、誰かが話しているのを耳にした。そしてそれからまたしばらくした後、僕達は、かなり広範囲に渡ってこの停電が起こっているというのを、ラジオのニュースで知ったのである。その規模は実に、ニューヨーク市から国境を越えたカナダのトロント、そしてデトロイトまでに及んでいた。

そんな中、誰の頭にも一番最初に浮かんだのが、テロリストによる攻撃ではないか、という疑問だ。状況は、前回の事件と、あまりにも酷似していた。どこかにある発電所が、爆破されたのかもしれない。経済的な打撃だけではなく、社会的な打撃は、もしこの停電が数日に渡って続いた場合、かなりのダメージになるからだ。

道という道に溢れる人、人、人。市郊外に住居を持つ人が家路を急ぐ車で、どこの通りでも交通渋滞が発生していた。そのような状況でも、思った以上に人々は落ち着き、リラックスした表情を見せていたのは、そこにいた多くの人たちが、2年前の9月11日を経験していたからだろう。あの日も、今回の停電が起こった日同様、空はきれいに晴れていた。本当に澄み切っていた。今回の停電と唯一違うのは、マンハッタンの空になびく煙が無いことだ。どこにいっても灯りが無い。ブロード・ウェイに立ち並ぶ店も、全部真っ暗。信号機だって動かない。そして、あるのが当たり前だと思っている、例えば電気のようなものに、僕達がどれほど助けられているかを身にしみて分かるのは、こういった究極の状況でしかないのだ。そしてそういったものが当たり前だと思っていること自体、危険な考えなのである。

僕がニューヨークで生活を始めて6年になるが、その間、ローワー・イースト・サイドと、僕が住む、ウィリアムズバーグを結ぶイースト・リバーに掛かる橋、ウィリアムズバーグ・ブリッジを歩いて渡ったのは、たったの2回しかない。そしてその2回目というのが、今回の停電だ。僕が家に着いたのは、やっと空にも暗闇が落ち始めた午後8時頃。オフィスから自宅まで、徒歩で2時間10分もかかってしまった。

もちろん、電気がないのは不便この上ない。しかし同時に僕は、この事件を通じて、これが100年前は当たり前だった、ということに気づいた。そして、そのような状況がある意味、新鮮でもあったのだ。ライトも無し。テレビも無し。コンピューターも、そしてラジオも無し。無い無いだらけの生活は、とてもシンプルに思えたのだ。不可能だとは分かっていつつも、心のどこかで、この質素な生活がずっと続けばいいと願っていたのは、否めない事実である。

翌日、徐々にではあるが電力は復旧して行った。僕の近所に灯りが戻ったのは、停電が始まってから、ゆうに24時間後のこと。電気が戻ったニューヨークは、それまでのパワーを回復したかのように、もとの姿に返っていた。9月11日の事件と違うのは、今回の出来事で、怪我をした人が一人もいないということ。そして9月11日の事件と同じなのは、すべての物事が、驚くべく早さで平常に戻ったということであり、これが唯一の、良かった点ではないだろうか。

Text and Photos: Rei Inamoto from Tronic Studio
Translation: Sachiko Kurashina

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