ギルス・マソ展「街灯としての私の人生」

HAPPENINGText: Fann ZJ

私達はよく、目の前にある出来事を当たり前の事と思ってしまう。特に人生の中の些細なことがそうではないだろうか。フランス人アーティスト、ギルス・マソの作品展「街灯としての私の人生」では、私達の身近にある静かなる存在をカメラのレンズを通して見ることができる。イメージをただ捉える以上に、この展覧会では私達が見落としている暗闇の中のはかない物事の実体とキャラクターを表現し、私達が目を向けるべき世界を照らしている。


Gilles Massot, My Life As A Lamp-Post, 2002 © Gilles Massot

シンガポール・アート・フェスティバルと共同で行われたこの展覧会。展覧会では、今月の写真として紹介され、過去にも数多くの国際的、そして地元の作品が展示されてきた。写真はアートメディアとしてその足場を固めつつあるが、もしかしたら純粋主義者は、写真はアートではないと目くじらを立てるかもしれない。

アマチュアにとってフォトショップの存在はそれ程ありがたいものではなく、それ自体が熟練者の為の道具として作られているように思われる。フォトショップでフィルムのイメージを再現するには、熟練したスキルと技術が必要なのである。またこの場合、オブジェクトの精神までキャプチャーしようとすることは、街灯の感情と本質を捉えることになるのだ。


Gilles Massot, My Life As A Lamp-Post, 2002 © Gilles Massot

撮影は大陸を越えて行われ、その期間は25年にも及んだ。街灯それぞれの孤独感と感情がライト、色、そしてコンポジションから伺うことができる。ある街灯はどうにもならない程の寂しさに溢れているように見える。青空を背景に太陽もあり、電線もある風景に誇り高くそびえ立つ街灯は、各々が持つイメージによって各々のストーリーを展開し、思いや疑問が浮かんでくるようになっている。それでも写真がアートとして不十分だと言えるだろうか?


Gilles Massot, My Life As A Lamp-Post, 2002 © Gilles Massot

ギャラリー空間へと続く階段には、ライトボックスのインスタレーションが設置されている。人が上に登るとスイッチが入るようになっている仕組みだ。ランプの配置をまねしてみると、写真でとらえられたオブジェクトの気持ちを詳説を通じて、来場者の注意を表現し、その注意を街灯の存在へと移して行くのだ。

その存在はあまり注目されないが、どこにでもあるものとしての街灯は、もしかしたら習慣をぶち壊すような思いの中に存在しているのかもしれない。このような感情と思いを持ってみると、他の何かもこのようなものと関連性があるかもしれないし、違うライトを当てて見ることもできるのだ。

Gilles Massot “My Life As A Lamp-Post”
会期:2002年6月5日〜22日
会場:Plastique Kinetic Worms
住所:61 Kerbau Road, Singapore 219185
TEL:+65 6292 7783
admin@pkworms.org.sg
http://www.pkworms.org.sg

Text: Fann ZJ
Translation: Sachiko Kurashina
Photos: © Gilles Massot

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