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フランチェスコ・ヴェッツォーリ展

HAPPENINGText: Rei Inamoto

アートの一形態としてのフイルムは、真意がはっきりしない議論の題材のようなものである。フイルムは現代の世界で最も広く受け入れられているアートの形態だが、一方、それは最も商業化されたアートの形態である。いわゆるアーティストという人たちがフイルムをアートとして認めるのを気嫌う理由はここにある。

ビル・ヴィオラやゲイリー・ヒルなど多くのアーティストは、アートの表現手段としてフイルム(やビデオ)を使用している。彼等のようなアーティストの多くは、フイルム、ビデオ、アートの境界線を曖昧にしている。

ニューヨークのニューミュージアムでアメリカでの初上映となる5本のショートフィルムを発表したイタリア人アーティスト、フランチェスコ・ヴェッツォーリ。彼は直近のヴェネツィア・ビエンナーレに参加したことで国際的に名の知れたアーティストだ。

赤いベルベットのカーテンで囲まれているギャラリーの中に足を運んでいく。カーテンの間には円柱があり、それには来場者が個々に楽しむことができる映像視聴装置が設置されている。

これがアートなのだろうか? アートって何だろう? 『芸術作品をオブジェクトとしてではなく、体験のきっかけとして考えてください。アートは起こることであり、質ではなく経験である。』と言ったのはイギリス人ミュージシャン、ブライアン・イーノである。

これはもしかしたら、私が今まで聞いた中で一番包括されたアートについての定義かもしれない。と同時に、この定義のおかげで多くの問題を解決できるし、フィルムはアートか? とか、パフォーマンスはアートか? 等の言い争いを繰り広げなくてもよくなるのである。

アートフォームとしてのフイルムを明白にするこの定義がある限り、写真はアートギャラリーにある様な良いアートにはならないのである。

ニューミュージアムのようなフイルムを座って楽しむギャラリーは、私の個人的な意見として、成功という言葉とは、かけ離れている。特にフイルム作品が簡潔な始まりと、終わりを持っていた場合(ほとんどのフイルムには始めと終わりはあるものだが)、そのギャラリーはギャラリーとしての効力が減るし、映画的なセッティングと同様に観客はばらばらと行き来を繰り返すのだ。

ヴェッツォーリのフィルムは、芸術分野で高い評価を得ているのだろう。だがしかしフランスのデュオ・ジュネ&キャロによる「シティ・オブ・ロスト・チルドレン」など、美術評論家からは「芸術」とは見なされていないフィルムは、はるかに優れた体験である。イーノが定義するように、経験が芸術を定義するものであるならば、それは芸術になるのである。アートギャラリーは、アートを作り、定義するものではい。アートを定義する作品によって生み出される体験が全てなのである。

私はギャラリーで居心地悪く座りながら、「アート」と言われるフィルムの謎めいた意味を解読しようと試みるよりも、ソファーに寝転がり、DVDを入れてフィルムを鑑賞する方が好きである。

Films of Francesco Vezzoli
会期:2002年2月12日〜4月21日
会場:New Museum
住所:583 Broadway New York, NY 10012
TEL:+1 212 219 1222
newmu@newmuseum.org
https://newmuseum.org

Text: Rei Inamoto
Translation: Sachiko Kurashina
Photos: Rei Inamoto

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