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「マティス 自由なフォルム」

HAPPENINGText: Alma Reyes

フォーヴィスム、印象派、モダンアート、ポスト印象派、モダニズム、新印象派の巨匠の一人であるアンリ・マティスは、大胆な色彩と装飾的パターンで、世界中の人々から絶大な支持を得ている。アンドレ・ドランとともにフォーヴィスム運動(1904-1908)の指導者となったマティスは、ルネサンス以降の伝統である写実主義とは決別し、目に映る色彩ではなく、心が感じる色彩を表現した。

国立新美術館では、5月27日まで「マティス 自由なフォルム」を開催している。4.1×8.7メートルの大作《花と果実》(1952-1953年)をはじめ、マティスが晩年、精力的に取り組んだ「切り紙絵」に焦点を当てた展覧会は日本初。ニース市マティス美術館所蔵作品を中心に、切り紙絵に焦点を当てながら、絵画、彫刻、版画、テキスタイル等の作品や資料、約150点を紹介する。また、1948年から1951年にかけてコートダジュールのヴァンスに建設されたロザリオ礼拝堂のレプリカにも注目。建築からステンドグラス、壁画などの建築から室内装飾、祭服に至るまで、すべてマティスの構想によるもの。


アンリ・マティス《ブルー・ヌードIV》1952年  オルセー美術館蔵(ニース市マティス美術館寄託)© Succession H. Matisse  Photo: François Fernandez

最初のセクションでは、マティスが生まれたフランス北部で描かれた初期の作品や、フォーヴィスムの時代へ向う頃に制作された作品を紹介。画家になる前、故郷の法律事務所で働いていたマティスは、体調を崩して病に倒れ、母親から絵具箱を買い与えられた。これがきっかけとなり、マティスはデッサンや絵画に挑戦するようになる。やがて画家になるためにパリに移り住み、国立美術学校でギュスターヴ・モローに師事。ウジェーヌ・ドラクロワ、ポール・セザンヌ、印象派の画家たちから多大な影響を受けた。後にマティスは南フランスのトゥールーズやコルシカ島に滞在し、光の表現を探求するスタイルに初めて取組んだ。


アンリ・マティス《マティス夫人の肖像》1905年  ニース市マティス美術館蔵  © Succession H. Matisse  Photo: François Fernandez

《マティス夫人の肖像》(1905年)は、ドランとよく仕事をしていたスペイン国境から20kmほどの距離にある、地中海に面した町、コリウールで描かれたマティスの作品のひとつである。この二人の画家は、20世紀初頭に花開いたフォーヴィスム運動を主導。この肖像画は、フォーヴィスムの特徴をよく表している代表作で、大胆で荒々しい筆遣いを特徴とし、また原色を用いた鮮やかな色彩を表現した。


アンリ・マティス《赤い小箱のあるオダリスク》1927年  ニース市マティス美術館蔵  © Succession H. Matisse  Photo: François Fernandez

1917年のニース滞在をきっかけに、マティスはこの街でアトリエを転々とさせて制作に励むようになる。アトリエは彼にとって重要な舞台であり、花瓶、テキスタイル、家具調度など、多様な文化的起源を持つ膨大なオブジェを飾り、モデルに様々な衣装を着せて楽しんだ。アトリエの調度品や背景を主題にした作品も多く展示されている。《赤い小箱のあるオダリスク》(1927年)は、ニースで描かれた有名な絵画のひとつで、幾何学的な形と線の壁と敷物を背景に、黄色、緑、赤の遊び心のある色彩で、曲線的な女性の身体を描いている。

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