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アドリアン・M/クレール・B

PEOPLEText: Aya Shomura

お二人の演出とパフォーマンスにより、デジタルな映像が変幻自在な有機的スペースを生み出していますね。建物の壁に投影するプロジェクションマッピングとは完全に違いますから、デジタルの可能性が無限であると感じました。アドリアン・M/クレール・Bのテーマとコンセプトを教えてください。

アドリアン:近年は、ジャグリングと並行して、僕の舞台とジャグリング経験に基づいた「eモーション」(エレクトロニック・モーション:電子工学運動)と呼ばれるビデオ・クリエーション用のツールセットを開発してきました。それは、クレールと僕の間でよく持ち上がっていた疑問へと繋がるんです。どうしたら継続的に創作の中心に人間を据える技術インフラを作り出せるのか?というね。イメージへの魅惑を越えて、今日のツールがもたらす、巨大で多様な可能性を利用したい。けれど同時に、ツール、脆性、可能ならば詩的感興にもあえて(人間的な)「エラー」要素を忍び込ませる。そうすることにより、ポスト・デジタル時代が始まり、テクノロジーはもはや単なるアリバイづくりではなくなるのです。

PaysagesAbstraits2©LaurenceFragnol
“XYZT, Les paysages abstraits”, Paysages Abstraits, exhibition, 2011, © Laurence Fragnol

ライブデジタルの世界を目指す私たちの探求は、主に次の5点に基づいています。

1. 舞台芸術を最大限に生かすために考え抜かれたデジタル技術
ステージ上の「ライブ」が持つ力を維持し、それをさらにデジタルメディアへと転置するために、全てのイメージを制作・計算し、生で投影します。

2. デジタルライティング(digital writing)のアイディアやデジタルスコアによる舞台
イメージへの音楽的アプローチに加え、コンピュータプログラムへの楽器的アプローチにより、舞台の瞬間ひとつ一つを強調しています。

3. 技術的な課題を克服するインタラクティブ性
ビデオゲーム技術(計算と反応技術)からモーションキャプチャーのシステムを応用することで、仮想人形劇(人間の直感と空想力の価値)のような繊細な経験を観る人たちに届けることができます。

4. 動きの無意識的な体験
コンピューティングや投影される幾何学映像は、自然の観察から生まれたものです。こういった動きの個人的・無意識的体験は、抽象的な図形が刺激的な世界へと変貌する仮想世界を創り出します。

5. 偶然性の構造化
ダンサーの動きが映像に介入することで、迫真性と一貫性を持たせます。
これらができるのはコンピュータプログラム「eモーション」による、コンピュータや電子装置、ソフトウェアの密接な関係の賜物です。「eモーション」は、仮想的要素と現実世界から入手したデータとの関係を試験的にプログラミングするには最適なツールです。身体性に基づいたそのプログラムは、私たちの全作品の核心にして、原点なのです。このプロジェクトはジャグリングの追究から生まれたものですが、舞台を左右する肉体とその動きとの具体的かつセンシティブな関連性から進歩しつつ、当初のテーマからはかなり発展していると言えます。


“Hakanaï”, dance performance, 2013

作品「ハカナイ」について教えてください。また、このタイトルは日本語の「儚い」という言葉が由来だと伺いましたが、この言葉との出会いについてお話くださいますか。

アドリアン:「ハカナイ」は、キューブの中で、一人のダンサーが演じる俳句的ダンスパフォーマンスです。デジタルインタープリタがライブ投影するイメージが変化することで、キューブが出現するのです。日本語の「儚い」という漢字は、2つの文字要素の融合だと聞きました。要素の一つは「人」、もう一つは「夢」という意味だそうですね。この作品の儚さ、脆さ、無常さ、実体のない本質を定義するために用いました。「儚い」という言葉との初めての出会いは、この単語がフランスの新聞に載っていたことでした。それは、僕らに落ちてきた、目に見える「カギ」でした。ただの一語に過ぎないのに、僕たちが探していたものを如実に表していたのです。

クレール:白いチュールで覆われたキューブと相まって、この言葉は作品の出発点を象徴してくれています。4つのプロジェクタ装置は、チュールを絶え間なく変化させ、躍如たる世界を表現しています。「デジタルスコア」というパフォーマンスでは、そういった処理が行われ、それがライブへと転換されます。ダンサーの肉体は、常に変動する映像との対話に入るのです。これらのシンプルかつ抽象的な黒と白のオブジェクトは、五感により認識可能な物理的原則と自然の観察が基となった数理モデルに従って動きます。
このパフォーマンスは、段階的な構造になっています。観客は、初めに装置を見つけます。ダンサーが登場すると、何が始まるのかと周囲に集まります。そして、上演が終了すると、常に変化していた映像をくぐり、舞台上を歩き回ることができるのです。

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“Hakanaï”, dance performance, 2013, © Romain Etienne

アドリアン:ミニマリストの転置により、この作品は、夢の架空領域、その構造と物質から導かれたイメージに基づいています。ボックスが象徴するものを順に説明します。ひとつは、寝室です。睡眠が破られると外壁が崩壊し、全く新しい内部空間が展開されます。ケージは、人が容赦なくぶつかる限界を意味しています。過激な他の要素は、実態のない敵との戦いの場所を。そして、不可能が可能になる空間では、物理的要素に対する全ての推論と確信が揺さぶられるのです。
ダンサーの動きと映像が出会うことで、二つの世界がねじれるように交じり合っていきます。現実と仮想のシンクロが溶解し、それらを隔てていた境界線が消えると、夢を擁するユニークな空間が実現します。


“Cinematique”, dance performance, 2013

シネマテーク」も非常に内省的かつ印象的な作品ですよね。その裏には、どんな背景や物語があるのでしょうか?

アドリアン:僕にとってジャグリングは特別な例ですが、物体や肉体が現実であろうと仮想であろうと、大切なことは、僕の中に存在する様々な形を持つ「動き」そのものなのです。そこで、感情の根源として動きを試すことが「シネマテーク」のテーマでした。肉体が物と舞う、夢のようなデジタル風景を周囲にちりばめて、直感的に演出しています。このねじれたプロセスの中で、僕は余分なものを排除することを選びました。ですから、可能な限り大きなスペースを作り出すために、舞台芸術を極限まで簡素化しています。開いた本に、空白の2ページを作るようなイメージですね。そこにまだ何かを書き加えられるように。観る人たちがショーに完全に入り浸ることができる、要するに「想像力を最大限に働かせてもらうための装置を生み出す」という僕の深く執拗な欲望に従い、具体的な物語性からは離れる努力をしてきました。

「シネマテーク」は、旅と夢、遊びへの招待です。幼少期から僕らみんなが自己の内に秘めていた夢の破片は、ある時に再浮上し、現代生活を構造化する合理的規則をも破壊する力を持っています。このパフォーマンスは、様々な光景を象徴する仮想物を次々と渡り歩く旅なのです。平らな面に投影された線や点、文字、デジタルオブジェクトは、肉体やジェスチャーと調和する詩的スペースを作り上げます。仮想が不透明な映像や平たいオブジェクト映像を変貌させ、視覚効果やダンサーの動きを通じて僕らが自己に秘める自由や欲望、神の存在を明らかにしていきます。

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