フセイン・チャラヤン

PEOPLEText: Wakana Kawahito

トルコ・キプロス島出身のファッションデザイナー、フセイン・チャラヤンは、1994年に初めてのコレクションを行なってから、独特のアーティスティックなアプローチでファッション界に驚きを与え続けており、政治的、宗教的、社会的な問題に対する批評性やその物語性を編み出す改革的なデザインは国際的に高く評価されている。
さらには、ファッションだけにとどまらず、アート、建築、映像、科学などジャンルを横断した作品により、2001年イスタンブール・ビエンナーレや、2005年ヴェネツィア・ビエンナーレなどの国際展でも活動を行なっている。

現在、東京都現代美術館で開かれている個展、「フセイン・チャラヤン – ファッションにはじまり、そしてファッションへ戻る旅」で来日したフセイン・チャラヤンにお話を伺った。

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Photo: Chris Moore

昔は、パイロットや建築家になりたかったそうですね。あなたのアイディアを表現するのに、なぜファッションという手段を選んだのですか?

飛行機が大好きだったので、幼い頃は、パイロットになりたかったのです。というのも、ロンドンとトルコのキプロス島を飛行機で行き来していたからでしょう。ファッションをやろうと決めたのは、身体(ボディ)の周辺にとても関心があったからです。それはおそらく、身体は全てのことに命と意味を与えるからでしょう。

たとえば、建物だって、身体というものがなければ、意味を持たないですし、服も身体がなければ意味がない。それは車にも当てはまります。また、全ての文化的なシンボルの根源は身体が基本となっていると感じます。つまり、身体の拡大化です。しかも、建物や車をデザインするとき、そのシステムは身体のそれに似ています。つまり、物事は中央に集まってくるのです。私たちは、無意識のうちに身体を拡張しているのでしょう。

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One Hundred and Eleven, Spring/Summer 2007, photo: Chris Moore

ファッションデザイナーになろうと決めた当時、このようなことが理由だとは知りませんでした。しかし、心の奥底でこのような考えがあったから、ファッションをやるようになったんだ、と後で気がついたのです。そして、私が建築家になりたくなかったのは、もし建物の設計をしたとしても、洋服を通して表現される私のアイディアは神経中枢のようなものになると感じたからです。

幼い頃はパイロットになりたくて、両親は私に建築家になって欲しかったのですが、私にとってファッションはとても新しい表現の形だったのです。それは、身体の周りのものと服とのコンビネーションであり、いわば、私の世界をつくるものなのです。

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