アリー・カプラン・ナカムラ
PEOPLEText: Gisella Lifchitz
アリー・カプラン・ナカムラはブエノスアイレスで映画制作を学んだ後、テレビ番組やコマーシャルのディレクターとして活動した。そして音楽家、写真家、映画監督として常にアート界に身を置いてきた。
子どもの頃は何になりたかったのですか?
初めは建物の爆破解体技術者になろうと思っていました。父が建築家だったからです。単に父への反発心でした。それから音楽を学び、あらゆる楽器に触れました。7年生の頃にはもう、真剣に写真を始めていました。
現在はビデオジャーナリストとして活動していますが、この仕事の何がいちばん好きですか?
物事を自分が体験したとおりに表現できるのが好きです。現実をあるがままに反映することが好きなのです。時には映像に音楽を足したりもしますが、「格好良いから」という理由でそうしたくはないのです。
これまでで、あなたのキャリアはどのように変化しましたか?
最初は、自分は映画制作を生業にしていくだろうと考えていました。それがコマーシャルへと移ったのですが、私はコマーシャルの業界と、コマーシャルで強制的な消費を助長することが嫌になってしまったのです。今ではテレビすら見ません。
クラリンでの仕事はどのように始まったのですか?
当時私は、「ギルダの避難所」というフォトエッセイを出版していました。ギルダは路上で悲劇の死を遂げたカンビア歌手です。クラリンの人々はその仕事を通じて私のことを知ったのです。今は自分の好きな要素を全て使って仕事ができています。その要素とは、音楽、写真、映像です。とても満足しています。
個展も開いていますね?
はい。日本から戻ったあと、レコレッタ文化センターで個展を開きました。ブログやメールの無かった時代なので、写真や映像、文章は、日本から色々な人に郵送しておいたものでした。
イスラエルから戻った後は、ボルゲス文化センターで「中東へのチケット」という展示をしました。
確実に言えること、それはアリー・カプラン・ナカムラが独特のリズムで生きていて、それが彼の写真や映像から伝わってくるということだ。彼は何かを探し続けている。そして、おそらくそれはまだ見つかっていないのだろう。
これから新しくやってみたいことはありますか?
ごく近いうちに映画を作りたいと思っています。フィクションとドキュメンタリーの融合です。本来私はファンタジー映画が大好きなのですが、それは、映画の中に入り込めるという点が好きなのです。ファンタジー映画においては監督ではなく観客でいたいのです。種明かしをしてしまうと解けてしまうような魔法があります。私にとっては寿司がそうでした。作り方を学んだ途端、食べるのが嫌になってしまったのです。
アリーにとってのファンタジーは、砂漠のように渇いた都市の中のオアシス。
彼の言う通り、考えずただ楽しむためにあるものも、確かに存在する。
Text: Gisella Lifchitz
Translation: Shiori Saito
