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モーマス

PEOPLEText: Francesco Tenaglia

モーマスがイタリアで行う初めてのコンサートはベネツィアしか考えられない。不慣れな旅行者を混乱させるベネツィアのしっかりと絡み合った路地のネットワーク、心地よい地中海の日光と海の下に隠れた脅威と秘密の組み合わせ、そして困惑と官能を起こす素晴らしい宮殿群は、モーマスが作詞した一つの歌と彼の多くの作品に特徴的なものをこの都市の中に具体化している。

今回のツアー「スプーキスマ」はニック・カリーのレパートリーであるコンセプチュアルポップソングから豊富なセレクションを提供しているが、これは一般のインディー・ブリティッシュ・ミュージックの流行とは正反対である。1960年生まれベーズリー出身のスコットランド人の作る歌は、穏やかにそしてより尊大になるほど難解になり、うれしいくらい実験的になるのだ。

私たちはモーマスに彼の最近までの “課外活動”が 、今になってなぜ新しい観衆の目を引きつけることになったのかを聞いた。その原因の一つは、ワイアードマガジンや、アメリカのデザイン雑誌I.D.、AIGA VOICE、>メトロポリス、オブザーバーなどでのデザイン批評や文化コメンテーターとしての仕事があげられる。

『もし君が僕が16歳の時の学校生活を見たとしても、僕を音楽室やボブ・ディランのアルバムを聴いている子供たちと一緒に見ることはなかっただろうね。美術室でイギリスデザイン協会の雑誌「デザイン」を読んでいるところを見つけたんじゃないかな。』今回の彼のイタリアでの滞在は彼のデザインに対する初期の興味を揺すり起こしたようだ。そしてそれは彼の音楽に対する情熱よりも以前にあったものだということも。

『ミラノに行った際にトリエンナーレにも行ったけど、そこの図書館の地下書庫で70年代に発行されていた「デザイン」を何冊も見つけたんだ。70年代と言えば僕はそれらを読んでいたに違いない時だった。今はもうその雑誌は発行されていないけど、その時からグリーンデザインや、日本のデザインなどについての記事を読むのはとても面白かったよ。今考えてみるとこの雑誌とデザインという専門分野に強く興味を持ったのは、それらが将来とてもおもしろいものに見えたというのと、デザインが多くの人のくらしを良くできると思ったからなんだ。もちろんそう言うと理想が強調されてしまうけど、デザインは社会に前向きで建設的な課題を持たせることができるんじゃないかと思うんだ。』

ニック・カリーの評論は素晴らしい。彼は一見関係のないと思われる文化製品とアイディアを同時に扱うことができる。視覚文化の合成縮図をプラットフォームとして分かりやすい分析とより広範な社会の側面を観察することができる。解放のための社会的勢力としての創造性という考えは彼の “宗教としてのデザイン” という記事に帰結する。ニック・カリーは、マグマや、アナログ、そしてザッカなどの専門書店を高尚で神聖な価値観をもたらす現代視覚文化のカルト神殿として説明している。そこでわれわれは彼に昨今におけるデザインの最も重要な目的を尋ねた。

『僕は “宗教としてのデザイン” を疑問視しているんだ。僕は論文「デザイン・ゼン」でその暗い側面を説明しているよ。僕はデザインが消費社会ではただのつまらない宗教でしかないと考えているんだ。でもこの質問に答えるとすれば、デザインは公共生活を再び計画するための方法になると思う。“計画” は社会主義を機能不全の実験として扱う人々によって疑われているけど、僕はその “計画” がとても重要だと思う。デザインはその初期レベルの計画で、それは古典美を備えていてなおかつ文脈的なんだ。ここでは何かが誤作用を起こしている。そしてわたしたちはこれを正しい方向へ変更することができる。そしてデザインは僕が “モロニックシニシズム” と呼ぶものに対する対抗手段になることができる。“モロニックシニシズム” とは物事が不可避に悪くなっていき、利用価値よりも交換価値が全ての価値を決定し、いつかは自分たち自身をも自滅させ地球を破壊してしまうというアイディア。でもデザインは重要なんだよ。なぜならデザインは倫理的価値観と美的価値観を結びつける事ができるから。』

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