アメリカ同時多発テロ事件

HAPPENINGText: Aya Muto

その日も普段と同じように朝の一連の動作をこなし、朝7時には会社に着いていた。すでにオフィスに居た清掃夫のサニーから事件について知らされるまでは、ごくごく普通の朝だった。信じられない思いですぐにインターネットで探したが、なにしろその時点では1時間前に起ったばかりだったので、どこのニュースプレートもまだそれまでのニュースを伝えていた。

午前中はストックフォト・エージェンシー(主にセレブリティ)、午後は映画雑誌で働いているのだが、こんな日にも仕事は仕事。ニューヨークとのやり取りが多い手前、この惨事で現地と連絡がとれないのはもちろん、やはりその日はアメリカ中どんな街でも皆がショックを受けていたので、電話で用件を切り出すのも本当に不謹慎な思いだった。「こんな日に芸能人の写真を探してる場合じゃないのに…」となんだか根拠のない涙も出てきたり。

考えても見てほしい。日常の生活の中から突然7000人近くが失われたのだ。誰かがどこかしらで犠牲者と繋がっているニューヨークの街の悲しみはとても言葉に言い表せないだろう。犠牲となった4機のうち3機はロス行きだっただけに、自分の周りでも家族を失った絶望の声をきく。何が安全でどこから危険か、何が大切で優先されるべきか、皆の価値観が確実に変わった日だった。

政府、メディア、市民、どのレベルでも大きな衝撃を受け、行動が即座にとられた。随時更新される状況報告をニュースキャスターたちは当惑した声で報道し続け、交差点には「FREEDOM FOREVER」や「GOD BLESS AMERICA」などの横断幕がかかり、日が暮れると、ろうそくを持った人々が集まった。多くの世帯がアメリカ国旗を家の入り口やベランダに掲げた。車にも国旗が掲げられた。人々はボランティアや輸血に走った。

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