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アイ・マガジン

PEOPLEText: Nicolas Roope

マウス片手にデザイナーが日々を費やしていること、スタジオで黙々とこなす仕事について理解するために、少しばかりの知的解釈を加えても悪いことではないだろう。

今世紀半ばのフランスの知識人たちについて言えば、思想というのは、ほとんど居た場所と飲んだ酒の量と誰が近くに居たかで決まると言ってもよさそうだ。

そんな訳で、早朝5時、場所はギリシャのアテネにある大理石で埋め尽くされたホテルのバーへ、僕とマックス・ブルインスマは威勢よくアルコールを煽っていたのだった。

彼に“デザイン”ということと、彼が存在するその世界について疑問を投げかけることとした。

彼の思考を表すような、黒服、眼鏡そして野性的なへアースタイルのマックス・ブルインスマ。彼は グラフィックデザインについて国境を越えた批評を行っている「Eye Magazine」(アイ・マガジン)のエディターだ。

マックスの手にかかれば何一つ単純なものがなくなる。たった一つの質問が無数の答えを産みだし、弁説とコンテキストの迷宮からまたたった一つの究極の答えを導き出し人を納得させる術を持つ男。対象を分散させるというより、会話は唯一の彼の信念、“ヴィジュアル・カルチャーの創正期においてデザインこそは中心的な地位を保持してきたこと”に集中する。

美術史家として15年間、アートとデザインについて執筆してきた彼だが、このバックグランドが、デザインに関する思考と一般的なヴィジュアル・カルチャーを対称化させることに道を切り開いた。彼のこの広範な知識こそ、人に耳を傾けさせる力を与えている。

『私の見方では、現代の文化においてデザインは視覚的比喩の最も重要なソースとしてファイン・アートから受け継がれたものだ』

これは実に意味深い意見だと思う。アルコールによってもたらされた力か、自分の思考がかなり明瞭になる。
平然としたマックスは論点を緻密に語る。

『自意識、私的な態度というかつてのアーティストたちに固有な姿勢は浸食され、境界に追いやられている。1920年代には、アートのパラダイムはデザインのパラダイムへと移行し、それは我々が私的表現の領域からマス・コミュニケーションの領域へやって来たということを意味する』

この移行の歴史を振り返り、マックスはバウハウス、ロシア革命、機能的構成主義、デ・ステイル、そしてもちろんキュビズムなどに触れながら簡潔に語る。

『現時点で、過去に対する反応には2つのものが存在している。一方はアートと政治を以て機能主義に戻るもの、そしてもう一方は社会的、機能的要求に答えていくものだ』

ここに来てついに、焦点が明瞭になった。新たな放送メディアのみならずプリント・メディアの技術的進歩はデザイナーにとって異なった状況を作り出した。

マス・メディアが必要なのはマスによって理解される言語であり、アートの排外的な言語ではない。

故に、グラフィック・デザインが先導を切るのだ。しかし、これが一体、グラフィック・デザインにどのような影響を与えるのだろうか?そしてこれがどうマックスとアイ・マガジンに関係するのか?

マックスは、彼の議論を受け入れるならデザイナーは彼等に与えられた責任も負わなければならないと考える。そして、ここがアイ・マガジンの出番となる。アイ・マガジンはデザインへの理解と認識を深めるための議論を促し、グラフィック・デザインに関する思考を表現するためのフォーラムである。

『グラフィック・デザインの文化はあまりにアーティスティックで、彼等は必要であるのに批評に耳を傾けない、デザインとはつまり“批評”のことだ』

Eyeマガジンはマックスにとって、この分野で欠けている議論を促すための乗り物のようなものだ。議論なくしては、デザイナーは自分達のしていることを理解する術もなく見栄えだけに囚われることになるだろう。

実り多い話しであり、知識ある人物から意見を聞いたことを喜ばしく思う。

早朝5時30分で、一眠りして、朝1番のフライトに向かわなければならないが、マックスがこの日の10通ほどの電子メールに目を通しているのを写真に収める。そして、豪華だが少し趣味の悪いホテル独特の雰囲気を感じつつ、書きなぐられたメモを持ってベッドへと向かうことにした。

Text: Nicolas Roope
Translation: Satoru Tanno

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