ジョシー・サイクス
PEOPLEText: Ania Markham
アムステルダムはしばし、大都市というよりも、小さな町として形容される。事実として、種々のイベントにいったとしても、同じような顔に出会うのだ。写真家のジョシー・サイクス(31歳)もそのような人々のうちの一人だ。
私は彼女と度々顔を合わせるようになってから、幸運にも話題は沢山あり、さらに私は、デイズド・アンド・コンフューズド誌、ザ・フェイス誌、パルプ誌、スティック誌、ブルヴァード誌、デ・フォルクスクラント・マガジン誌、そして最近ではレイルズ誌などで取り上げられた彼女の作品を非常に気に入っていたからだ。
とうとう私は、このシフトの取材を口実に使ってジョシーと会い、正式な会話を交わそうと、彼女のオフィスがある、ウェスター公園の隣の古い学校の建物にもぐりこんだ。そのビルは吹き抜けと廊下がある古く、だだっぴろい建物で、幅広く集まったクリエイティブな人たちと、そのオフィスで満ちていた。
ジョシーはもともと英国のブライトン出身で、90年代半ばからアムステルダムに移住した。英国のウェストミンスター大学インタラクティブデザイン・アンド・メディア科から卒業して、そこでデザイン、映画、映像、写真を学んだ。その先駆的なコースで、彼女の同窓生たちはいち早くロンドンのクリエイティブシーンに影響を与えはじめていたが、彼女はオランダのデザインシーンに影響され、アムステルダムに活動の場を移した。
彼女はまた、デジタル・スタッド・アムステルダムという、1994年に立ち上げられたソーシャル・プロジェクトに深く影響されていた。そのプロジェクトはインターネットを使って、自由にメッセージを広めるというもので、しかし当時はまだほとんどの人がインターネットという言葉すら知らなかった時代であり、アクセスは彼女たちのものだけだった。だんだん寒くなって、彼女の友達の友達が彼女を哀れに思うまでの最初の三ヶ月、ジョシーは北アムステルダムのキャンプ場で生活していた。そして彼女が借りる部屋を見つけるまで、慈悲深くも、寝るためのソファを差し出したのである。
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