セルジオ・パンガロ
PEOPLEText: Gisella Lifchitz
雨の降る寒い午後、ブエノスアイレスの中心部にあるトラディショナルなバー、36ビラレスに入った。彼は、窓のそばのテーブルにいて、私がお店に入る直前、ちょっと眠たそうな顔で時計を見ていた。ブエノスアイレスは、この時期にしては少し肌寒く、人々が足早に家路へと急ぐ頃、私はインタビューを始めた。
セルジオ・パンガロは「ポルテーニョ」(港の人 = ブエノスイアレス市民を指す)で、シンガー・ソング・ライターでミュージシャンだ。彼の好きな音楽スタイルはラウンジだが、好きなリズムは、ボサノバ、チャチャチャ、ルンバ、スイングだそうだ。彼は、この南アメリカ独特の音楽を彼の知的で深いリリックで、呼び覚ます。ここでは、皆が彼を古典派という言葉でくくりたがるが、その言葉は彼には当てはまらない。
なぜ、歌うのですか?
声は、文学を載せる乗り物のようなものです。だから歌うのです。本も素晴らしい思いますが、僕は音楽を愛しています。そして当然ですが、声はいつどこでも持ち歩ける。歌を始めたのは、宗教学校に通っている頃でした。子供というのは、意外なところで才能を発揮するものです。僕は子供ながらも尊敬するアーティストに近づくために、もっと歌を勉強しなくてはと思ったんです。
歌のレッスンは受けているのですか?
もちろんです。僕の先生は、元オペラ歌手のマルガリータ・ケニーです。彼女は、50年代ウィーンのオペラ界の経験から様々なことを教えてくれます。その当時は、最も売れている音楽=素晴らしい音楽という考え方で、ポップミュージックが出てくるまでは、それが普通だったんです。
もし、理想の時代と場所を選べるとしたら?
1920年から1960年代ヨーロッパのオペラ界です。そして50年代のアルゼンチン。その当時、男性の発する言葉はもっと重んじられたものです。あらゆるものが、今より楽しくて穏やかで、男達は喧嘩などすることはなく、お金よりも友情がもっと大切にされていました。
パンガロとバカラは、毎週土曜日、ワインクラブという場所でパフォーマンスをしている。彼らのやさしい音楽の中には、批判的な詩が上手く同居している。その音楽は、単純に現代の音楽とはテイストの異なる音楽とも言えるが、破壊的な詩が許される、レトロな心地よい音楽とも言える。最も素晴らしいのは、人々はそのトリックに気付きさえもせず、潜在的に深みに落とされてしまうところだ。
『僕達のファンには、二つのタイプがいて、一方は、僕らのアーティスティックさや、スタイル自体を好きになってくれている人、もう一方は、単なるカクテルパーティーのグループと思っている人達です。表現方法にも二つのタイプがあります。一方は、僕達の選ぶ音は、僕達の歌いたいものを表現する手段という考え方。それには、自分が何を歌っているのか、自分でしっかり理解していなくてはなりません。また、僕達は観客をからかうこともできます。彼らは静かなボサノバが流れてくるのを期待している時に、何か違うことを始めるのです。』
詩には何か特別な意味合いはありますか?
自分を見捨てた女を非難するのは、ちょっと未熟だと思い、愛や痛みなんてものは実は大したものではないのだと、考え方を変え、自分を文学と精神分析で救おうとしたことがあります。また、去年のアルゼンチンの社会的な落ち込みで、僕達の詩はさらに過激になりました。70年代の反体制文化の典型的なスタイルへと逆戻りし、ヒッピーや反社会主義者について語っています。また残念なことに、最近はもう普通のこととなりつつある、誘拐についての歌もあります。
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