YUUMI(優味)

PLACEText: Ari Matsuoka

水谷優太さんのこれまでの経歴を聞かせてください。

小さい頃はパン屋さんになりたくて、学生時代はパンとケーキ作りの勉強をしていました。
調理師学校へ通っていた17歳の頃、フランスへ留学し、現地で修行を受けました。

当時の選択は、自分にとってとても貴重な経験でしたが、若いからといって、「良い」「悪い」の判断や知識がないままフランスへ行っても、何も得られるものが無いということを実感しました。本当は学校を卒業したら海外へ飛ぼうと思っていたのですが、当時通っていた学校の先生に「日本を見てないのに海外へ行ってもしょうがないぞ」と言われ、専門学校卒業後、東京にある有名店で働くことになりました。

卒業当時、名の知れた東京の有名店に就職できる生徒が大変珍しく、先生や同級生からの評価を沢山受けていざ上京したのですが、予想を上回る厳しさで、世界中で活躍したシェフ達を目の当たりにして、初めて挫折を経験しました。結局そのレストランでは20歳まで働き、そこから次はオーストラリアへ行くことを決意しました。

その頃、テレビでオーストラリア・シドニーにある有名レストラン「テツヤズ・レストラン」の特集を見たのですが、オーナーシェフの和久田哲也さんは僕と同じ静岡県出身の方だったので、「同じ地元出身で活躍しているシェフがオーストラリアにいるんだな」と思ったのがきっかけでした。以前フランスへ留学した時は、言葉の壁がとても大きく悔しい思いをしたので、まずは英語から学ぼうと思い、海を渡りました。

オーストラリアに到着後、街中を歩きながら働かせてくれるレストランを探していると、趣のあるこじんまりとしたフランス料理店を見つけ、僕はつたない英語で「ここで働かせてください」とシェフに声をかけました。初めは皿洗いからのスタートでしたが、結果そのお店で約5年お世話になりました。

ある日、その店のシェフから「もうここにいては駄目だ。本当に料理がしたいなら、フランスへ行って、星付きのレストランで働くべきだ」と背中を押してくださったんです。彼がフランスにある星付きのレストランに推薦状を書いてくれて、そのお陰でパリの一流レストランで働くことができました。

25歳の時にフランスへ飛び、パリでの生活は緊張の連続でしたが、とてもいい刺激になりました。パリに行くと分かるのですが、夏の期間は星付きレストランも夏季休暇をとるところがほとんどで、観光客もガラガラになるんです。そんな閑散期にダラダラ過ごすわけにもいかないので、イタリアにあるレストランを紹介してもらい、長期休暇の間は毎年イタリア料理店で働いていました。
フランスで料理の経験を積んだことはとても良かったのですが、「暮らすこと」にフォーカスをあてた時、なんだか肌に合わない感じがして。

2015年頃、ドイツ・ベルリンに友人が住んでいたことをきっかけにドイツへ渡りました。先ずはバイエルンに行こうと思ったんですよ。当時のベルリンには食文化もさほど栄えていなくて、パリとの格差に驚いたことを覚えています。

街中のレストランを食べ歩いて、最終的に行き着いたのが「シュネーヴァイス」というドイツ・オーストリア料理店だったんです。そこに勤めているシェフが、過去デンマークで修行をしていた方なのですが、当時、料理業界の中で“デンマークのレストランは世界一”と称されていたのです。僕自体、それまでデンマーク料理を意識していなかったのですが、彼がつくる料理を目にした時に「これは凄いな」と感動して、それからそのレストランで約5〜6年働くこととなりました。

そのあたりから「ゆくゆくは自分の店を持ちたいな」と思っていたんですけど、先ずドイツで商売をする以上、ドイツ人のことを熟知していないと分からないじゃないですか。日本からドイツへ進出して、日本と同じことをやってもこちらでは通用しないことが沢山あるというのは、長く海外で働いてきているので分かるんです。ドイツ人が好む味のコントラストを決めていくには、やはり一緒に働いてきたチームや、お店に来店されるお客様の好みで理解しました。

こうやって話せば、僕の料理の形を作ってくれたのは、これまで働いたお店のシェフや沢山の恩師の方に恵まれてできたものだなと、改めて実感します。僕がオーストラリア、フランス、ドイツで働いてきて感じたことですが、やっぱりその国の暮らしを知るには1〜2年じゃ分からないんです。長く根付くことによって見える国民性や食文化もあるので、ここまで来るのには時間が掛かりましたが、とてもいい経験だったと思っています。

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葛西由香
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