白木麻子

PEOPLEText: Setsuko Hori

常に、アーティストの視点で生活していますか?

生活空間は私にとって気付きの宝庫です。それが例えば、食卓で起こる事でも洗濯物を干している時でも、身の回りにはものや形、それに付随する行為が溢れているので、全く無関係に思える出来事の最中にも作品がふと見えてくるということがあります。その出来事が作品と意味を全く異にする事であればあるほどそのギャップに興味を惹かれます。

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「再生される世界―生活の悟性」白木麻子, 2011, gallery21yo-j, 東京, Photo: Tadasu Yamamoto © Asako Shiroki

どのように作品を制作していますか?

私の作品は、木材を入手し製材を行なうことから始めます。それは形が立ち上がる、できるだけ深層の部分で脱機能としての選択を私自身が行ないたいと思うからです。一見すると用途を持っているかのように見える形も、用途としての機能性を失った所から形が立ち上がっています。

ベルリンに来た当初、作品を作る材料を購入する場所、運搬方法など色々と分からないことがあったので、まずは道に落ちているもの、落ちている壊れた家具を拾ってきてそれを材料として扱うことから始めました。でもそれは結局、今まで私が行なってきた制作とは全く異なるプロセスと思考なのです。既に椅子として用途を持ったものを、逆算しながら材料にしてくという作業と、材料に形としての選択肢を与えながら作品をつくる事では、アウトラインとしての形は似ていても全く異なるコンテキストによって成立しています。

そして、私の作品はあくまで私が作品の完成する所を決めますが、制作過程では作品が私を飛び越えたり、私がそれを追い越したりして、作品と私はアクティブな関係で成り立っています。それぞれの作品の完成がありながらも、いくつかの作品が連鎖的に繋がっていたり、作品の前後周囲に何らかの関係性を持った常に過程にあり続ける作品、つまりは終わらない作品とも言えるかもしれません。

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Photo: Sylvia Steinhäuser

なぜ木を選んで制作していますか?

木材の加工には、電動工具であれ手道具であれ必ず道具が必要になってきます。私の場合、その方法の一つとして日本の伝統的な木工技法や道具などを扱って制作していますが、それは作品を作る上でのプロセスや運動、行為として扱っていて、技量を見せる事とは異なります。

むしろ、それに関わる中で現れてくる手癖やネガとポジの関係で成り立ってくる形のリフレクションなどに関心があり、一見特別な方法のように見えて、異なる層への交通が可能な哲学として捉えています。扱う素材や技法は本質の外側にあって個人のアイデンティティーではないのだと、ある程度の距離感を保ちながら制作しています。

日常の中で、人がものに対して行なう行為や、その逆にものに扱われて行なう人間の行為もまた、私にとって制作上の技術と境なく同様に技術と言えます。こうした、誰にも所有されていない日常の中の技術、「匿名的な技術」を意味する「anonymous techniques」をテーマに作品と平行しながら、作品のためのソースとして写真を撮り溜めています。

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Photo: Sylvia Steinhäuser

海外、ベルリンでアーティストとして生きることで、日本と違うとしたら、それは具体的にどのようなことですか?それがどう白木さんに影響しますか?

母国語で思考する作品と、異言語を通してつくる作品では自ずとコンテキストが変化していきます。思考、価値観、文化、感覚、ものの形などもちろん似通った所も沢山ありますが、一見似て見えるものも全て言語同様、自分の知っているそれとは異なっています。

この違和感みたいなものが、私が作品を通して行なおうとしている事と近く、アウトラインとしての形とその背景にある事とのズレみたいなものが作品に現れ出たら面白いと思っています。母国語とは異なる言語を持ったものを扱ってそれに呼応して制作していくというのは、今後の私自身の作品や制作へのアティチュードにも影響して行くので、これからどのように作品が変化して行くのか私自身興味があります。

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