アンテ・ヴォジュノヴィック

PEOPLEText: mina

アンテ・ヴォジュノヴィック。アッシュ・ぺー・フランスの招聘アーティストでもある彼は、都心から40分くらい離れた郊外にアトリエを持ち、ただ一人クリエイションの歓びを噛み締めていた。何を話しているのかもわからない日本語が飛び交うこの国で、何にも惑わされず、何にも縛られずに。
そんな光のアーティスト、アンテ・ヴォジュノヴィックが見つめているものは何だろう。

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「46gの光」

1975年から独学でクリエイションの世界にお入りになられたそうですが、転向されたきっかけは何だったのでしょうか?

クリエイション的にはもう子供の頃から、ものづくりが好きでした。北アフリカにいた時は自然の中で一人で過ごす時間が多かったです。友達と話さないとか誰かと一緒にいないということは、自分で考え想像することが多いので、イマジネーションみたいなことはその頃から培われてきたように思います。いつも何か違うことを探し続けていました。軍隊にも入ったし、料理人にもなりました。ある恋人と付き合っていた時には、二人でファッションアクセサリーもつくりましたし、よく旅行もしました。ある日、もうやめよう!って決めて、全部やめたんです。恋人はイルカと暮らしたいと言って旅立ち、自分はアメリカにちょっと旅に出ようと決めて訪れ、初めてコンテンポラリー・アートの美術館に足を踏み入れたのが1975年でした。その時に、これなら俺にもできる!と作品を見て思ったのです。それで、その場で旅をやめパリに戻り、アンチーブにあった身の回りのものを全部売り払い、パリにアトリエを一つ買い、そして、クリエイションの世界に入りました。

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光の彫刻「NOUS」

その衝撃を受けたという、美術館での具体的な作品は何だったのですか?

ヒューストンで目にしたのはアンディ・ウォーホルやロイ・リヒテンシュタイン、ウォルター・デ・マリアなど、ポップ・アートの作家達です。でも誰かということではなく、その時代のクリエイターたちの世界観を見て、アートなんて興味もなかったし意味も知らなかったけれど、彼らがつくったものに衝撃を覚えました。それ以来、何か見たことのないものをつくるということを、今日に至るまでずっと同じスタンスで続けています。

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