アリー・カプラン・ナカムラ

PEOPLEText: Gisella Lifchitz

アリーの持つ世界は、地球の中心にある複合文化スポットのようだ。彼の祖父母は、日本とロシアからアルゼンチンに移住した。それぞれの断片と祖先の物語は、彼の顔、家、そして作品にいくらか影響を与えている。両親は音楽のサマーキャンプで出逢った。ともにミュージシャンであり、アートへの関心も深い。

Ary Kaplan Nakamura

このように入り交じった血筋を持ったことは、あなたにどのように影響していますか?

自分をここに存在させている文化を知るために、日本とイスラエルを旅しました。日本では自分自身について沢山のことを発見しました。自覚している自分の性格が、血筋によるものだとは思いもしませんでした。この旅で私は日本人としての自分を知りました。

Ary Kaplan Nakamura

ご自分について、何を発見したのですか?

例えば、私は学校で皆の前で質問したりすることに臆病でした。恥ずかしがり屋でした。日本に来て、彼らも質問などしないことを知りました。人に笑われるのを怖がっているのです。日本のコミュニケーションは繊細なものでした。

Ary Kaplan Nakamura

なぜ日本に行ったのですか?

愛媛県の海外移住者子弟のための奨学制度を受けたからです。私はこのグループの代表を務めてもう6年になります。日本にいる間に日本語を学び、ドキュメンタリーの監督として働きました。

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イスラエルにはどのような経緯で行ったのですか?

これも奨学制度を受けてです。日本への滞在のほうがずっと長く、10ヶ月いましたが、イスラエルには1ヶ月しか滞在しませんでした。行ってすぐに、イスラエルは祖父母の国ではないと知ったのです。彼らはユダヤ人でしたが、もともとの故郷はイスラエルではなく、ロシアだったのです。

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