メディア・オペラ「アワー・ブリンク」

HAPPENINGText: Yasuharu Motomiya

東京の下町に突如現れた異空間アサヒ・アート・スクエアで11月17日、18日の日程で2日間開催されたメディア・オペラ「アワーブリンク」。会場は一般的なオペラという形式とは異なり舞台は存在せず、あるのはサウンドとビジュアルを担当する出演者のステージと、ホールの天井から吊るされた6面のマルチプロジェクションスクリーンとLED、そしてスピーカーだけだ。

DOTMOV TOKYO 2007

約一時間半の上演時間中、サウンドとビジュアルによる演出が観客を作品世界へと引き込み、導入部分では、真っ暗な会場に抽象的な音の断片と時々明滅するLEDが意識の深層部分を観るものに感じさせ、後半部分ではマルチプロジェクションスクリーンによるヴィジュアルとそれまでの断片的なサウンドがより楽曲として構成されより明確なイメージへ変貌していく。メディア・オペラという新しい形式に意欲的に挑戦した高橋氏に今回の試みについて話を聞いた。

まず最初にメディア・オペラ「アワー・ブリンク」のコンセプトや内容について教えてください。

アワーブリンクでは「他者に対する想像力」や「リアリティーへの覚醒」と言ったことをテーマとしていました。現実でも起きていながら、あまり意識していないことを短い時間に凝縮できたらということをコンセプトとしていました。

DOTMOV TOKYO 2007

なぜ、今回メディア・オペラという形式を選んだのでしょうか?

今までも映像を使ったライブは数多くやってきていたのですが、それらはどちらかというと抽象的な表現が主体でしたが、今回は表現したいものにもっとテーマ性があり、何か総合的な見せ方が必要なんではないかと言う気持ちがありました。そういう点からスタートしたので、形式として選んだわけではなく、むしろそういったものをなんと呼べばいいのかっていう状況でした(笑)。実は“オペラ”という呼び方をしてしまうと、どうしても古典的なオペラとしてのイメージが強すぎて、見る側が”オペラ”と言う言葉に引きずられはしないかと少々抵抗もあったんですが、あるテーマを背景にもった総合芸術的なものとしてはやはりオペラと呼んでよいのかなと。

また、オペラというと、台詞や歌が物語を構成しますが、これらの要素を極力抑えた理由は何でしょうか?

台詞を全く使わなかった一番の理由は見る側の思考を言葉で縛らずに自由にしておきたかったということがあります。というのもこのアワーブリンクはもちろんテーマはありますが、その中にストーリーがあるのではなく、それは見ている側にあるものを引き出すトリガーとしての役目として考えていました。

作品の印象として非常に抽象的で、作品から個々人が様々な意味を読み取れると思ったのですが、どういった意図でこのような構成にしたのですか?

まさにその部分がこの作品の中で一番大切だと思っていました。個々人の中に蓄積されている記憶や、日頃あまり意識せずに考えていることなどが結びついて、この作品のを見ている間にそれらが意識層に立ち上ってくれればと。

DOTMOV TOKYO 2007

特に映像については非常に断片的な印象を受けました。途中、スクリーンに映し出される様々な人種の子供たちや各国のニュース映像の断片が象徴的でしたが、一体何を意味しているのでしょうか?

断片的なものを並列することで見えてくるもの、と言うことを考えていました。今の社会、世界の中で、もちろん、国や地域によって状況は違うし、考え方や生き方も違ってくるわけですが、それでもやはり共通項なり、共感できる部分てあるんだと思うんです。特に子供時代ってその部分が多いのではないかと思って、様々な子供達の無邪気に遊んでいる情景を映し出しました。

それに対して、各国のニュース映像って言うのは、情報のつたわりかた、受け取り方の問題って言うのが大きいように思っているので、いったんそれを引きの状態で俯瞰して見たらどうだろうかと言う狙いがあって。実はあのシーンでは映像の方は膨大な量のニュースソースをつかっていますが、音の方では全て使うのではなく、聞こえるものと聞こえないものがある、かなりフィルターにかけた状態になっています。実際の社会の中でもマスメディア側の意図的なフィルターや個々人の無意識のフィルターがあるわけですが、その状況を意図的に作り出した形で置いてみようという発想でした。

また、現在われわれが抱えるコミュニケーションや情報に対する問題などが作中に込められていたと思いますが、具体的な例として幾つかあげていただけますか。

情報という点で言うと、途中本当の戦場のシーンとフェイクの(ゲームの)戦場のシーンが同列に置かれていくところがあったのですが、おそらくパッと見ではどちらも本当のリアルな映像に見えたと思うんです。まぁそれはあえて仕掛けとして置いたのですが、実際いま世界で起きていることって、情報としては沢山入ってくるんですけれど、それは情報の提供のされ方でいくらでも違った見え方がしてしまう危険性はあるわけですよね。そこを常に疑ってかかっていないと本当のところどうなのかというのを見えなくなってしまうという意味合いを含めていました。

DOTMOV TOKYO 2007

こういった問題を音楽やアートで表現することにつて、作家としてどういったアプローチをとっていますか?

本来、音楽ってたとえどんなに作り手が具体的な問題を音楽の中に盛込んだとしても、抽象化されてしまうものだと思っているんです。むしろその抽象性が音楽の特徴でもあり。良さだとも思うんです。なので、基本的には音楽の中で今回のような社会問題を表現するということは今までほとんどしてきていません。ただ、ここ最近、自分の中でこういった問題に対して一度、きちっと見据えて見たいという欲求が生まれていたので、その結果としての作品でした。

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