「髙田賢三 夢をかける」
HAPPENINGText: Alma Reyes
森 英恵、三宅一生、山本寛斎、川久保 玲、山本耀司、コシノジュンコらを筆頭に数々の日本人デザイナーたちが、世界のファッション史にその名を刻んできた。これらのエポックメイキングなクリエイターの一人に、ケンゾー(KENZO)の名で親しまれている髙田賢三(1939〜2020年)がいる。森、三宅、山本寛斎と同様に、髙田も惜しまれつつ他界したが、服飾デザインの進化において前例のない創造性という貴重な遺産を残した。
「髙田賢三 夢をかける」展示風景 東京オペラシティ アートギャラリー 撮影:髙橋健治
世界のファッション界に多大な影響を与えた髙田賢三の没後初となる大規模な展覧会「髙田賢三 夢をかける」が、東京オペラシティ アートギャラリーで、9月16日まで開催されている。本展は、東京の文化服装学院での学生時代から、パリへの進出、ファッションショーやユニークなコレクションラインでの成功、そして画家やプロダクトデザイナーとしての後半生から晩年まで、髙田賢三の生涯のキャリアを回顧するものである。
「髙田賢三 夢をかける」展示風景 東京オペラシティ アートギャラリー 撮影:髙橋健治
展覧会の前半では、故郷の姫路で年の近い姉二人の影響もありファッション雑誌に夢中になった少年時代の髙田の生い立ちをたどる。洋裁学校に行きたかったが、当時は男子の募集がなく、仕方なく神戸市外国語大学英米文学科に進学した髙田だったが、その年に、「文化服装学院が男子生徒を初募集」という雑誌の記事を見つけ中退し、1958年に文化服装学院に入学。伝統的に女子学生ばかりだったこの学校に入学した最初の男子学生の一人となった。在学中に描いた貴重な自画像が展示されている。1960年には、若手デザイナーの登竜門である第8回「装苑賞」を受賞し、ファッションデザイナーとして第一歩を踏み出した。この受賞により、彼の名声は一気に高まった。
「髙田賢三 夢をかける」展示風景 東京オペラシティ アートギャラリー 撮影:髙橋健治
同じ展示室には、1982年秋冬のコレクションショーに登場したマリエ(ウェディングドレス)もある。このドレスは、約20年間にわたって集めたリボンを使って制作した大作で、花の刺繍が施された色とりどりの美しいリボンが使われている。後にこのドレスは1999年に行われたKENZOブランドでの最後のショー「KENZO 30ans(トランタン)」で日本を代表するモデル、山口小夜子が着用。この見事な作品は、デザイナーの手仕事の腕前を証明している。
髙田のパリ移住は、不幸中の幸いだった。1964年の東京オリンピックの準備のため、彼の東京のアパートは取り壊され、彼は10ヶ月分の家賃補償を手渡されたのだ。単身渡仏した彼は、それからアジア各地、コロンボ、ムンバイ、ジブチ、アレキサンドリア、バルセロナ、マルセイユに赴いた。この活気に満ちた旅が、彼の個性的なスタイルにインスピレーションを与え、その後の数十年間のパリ生活を彩ったことは間違いない。
ルイ・フェローをはじめとするパリのファッション・ハウスや、雑誌、デザイナーにスケッチを売り込み、やがて髙田は1970年にギャルリー・ヴィヴィエンヌにパリで最初の店舗「ジャングル・ジャップ」を開いた。アトリエはアンリ・ルソーのジャングルをテーマとした作品《夢》をテーマに、サイケデリックな花や木々、エキゾチックな動物が配置されていた。1973年にブランド名を「KENZO」とし、人気の観光地で知られるパサージュ・ショワズールに移った。
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