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カルロス・J・ゴメズ

PEOPLEText: Kyoko Tachibana

使い勝手がいいものや、携帯電話のためのインタラクションデザインなど、日々の生活に関わる作品が多いですが、このようなプロジェクトを考えだす時は、どのようなものから発想を得ていますか?

想像できないようなパターンで、不明瞭なネットワークをつなげることにより、アイディアを生み出します。普通の生活で、自分がしたり、読んだり、聞いたりすることで、発想を得る事もあります。私にとって最も発想を刺激するものとは、ニューヨークのような都会に住む事で、エネルギーをもらったり、視覚的発想が得られるという点では、通りを歩くという行為だけでも素晴らしいものがあります。道で見つけたもののディテールなどや、人々がどのように都会的環境を利用しているかなど、写真に収めたりします。

例えば、電話で地下鉄マップを見るというアイディアは、ニューヨークでは地下鉄の中で多くの人が上を見上げ、マップを見ていることに気づいたことから始まりました。これは、マップの目の前に立っている人や、席に着いているひとがマップをみようとするときに、(体を曲げて見なければいけないため)大変邪魔だということに気がつきました。2005年からは、私はニューヨークの地下鉄JPEGマップをブルートゥースで携帯に飛ばしているので、いつでも見る事ができます。

このような計画は、人やブログ、ビジネスがどのようにネット上で行われているかを見る事でこのようなアイディアに補足できるのですが、最近はそんなに行っていません。

ビデオゲームをよくするのですが、とても入り込みやすく、インタラクティブな体験ができるので、とても発想を刺激すると思います。

と言うように、特別決まったやり方はありませんが、技術的になりすぎず中身のある、より賢くシンプルなアイディアを好みます。

ノートとペンを常に持ち歩き、いつでもアイディアが浮かんだ時は書き込みます。

建築を勉強したそうですが、どうしてインタラクティブ・メディアの道を辿る事になったのでしょうか?

私は、1993年から1998年までベネズエラ中央大学で勉強しました。しかし、先にも述べたように、この期間ではすでに、VJセットやウェブデザインをしながら、デジタルビデオやアニメーション制作に関わっていました。建築の学士号が与えられた後、ニューヨークに住んで映像制作を勉強したかったのですが、その年は、叶いませんでした。1999年にこの街に来て、学校の面接を受けたのですが、そのプログラムの印象はあまり良くありませんでした。その時の滞在期間中に、幸運な事に、ITPですごく変わった楽しそうなことをしていることを知り、そこで、映像の学校よりもデジタルメディアに開放的なマルチな分野の環境で学びたかったので、ニューメディアを勉強することにしました。

この決定は自分の人生を変えましたが、本当によかったと思っています。

今までパブリックアートを手がけてきた中で、一番印象的な反応はどんなものでしたか?

プレスや知名度の点では、ノードランナープロジェクトが一番好評でした。2003年に、アルス・エレクトロニカでゴールデン・ニカ賞を獲得し、その後はすごくメディアに取り上げられました。

使用している人たちの反応という点では、アーバルーンには、地球規模で多くの人たちが関わりました。2004年の最初のフライトでは、開始発表から1週間で世界中から1000件もの画像やテキストが送られてきました。その時は、内容的に不適切なものが送られてこないか心配でしたが、驚く事に、削除しなければいけなかったのはたった3点のみでした。

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