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パブロ・ディ・マルコ

PEOPLEText: Gisella Lifchitz

パブロ・ディ・マルコに初めて会った時、特有の雰囲気を感じ取った。青年のような見かけに反して、瞳はノスタルジックでどこか哀しさも滲ませている。まるで人生を千回生きたみたいに。あるいは彼の小説の登場人物たちのようだった。その哀しさについて尋ねたところ、年配者に囲まれて育ったせいで一度も明るい子どもではなかった、と。なるほど説明がつく。

いつなぜ作家になろうと思ったのでしょうか?

11歳の頃、国語の先生がギフトのような授業をしてくださったんです。「5分間の時間」というギフトです。その5分間はノートにすきなことをすきなだけ自由に書くことができた。ぼくは不真面目な生徒だったから学校は牢獄みたいでしたが、その時間だけが自由になれる瞬間でした。その時期ですね、作家になること以上の逃避はないと考えたのは。逃れるために書く、その考え方が好きです。



何から逃げていたのでしょうか?

まず、オフィスでの仕事です。若い頃、オフィスで勤務していましたが、ひどいものでした。オフィスを表すとすれば… 全てのエゴと惨めさが閉じ込められた世界でした。その世界を知ったからこそ、そこから脱しようと思いました。

どのようにいつ書き始めましたか?

学校を卒業し、自分の時間を持てるようになったことで書くことはできましたが、あえてそれはしませんでした。それをおこがましく思い、自分にこう問うたのです。〈作家以上の何者かのふりをしていないか?そのためにはもっと度量が必要だ〉と。学生時代の失敗は、精神や自尊心を傷つけました。やがて33歳の頃、人生で何をしたいか再度自問自答しました。幼少から変わらず、その答えは〈書きたい〉でした。
子どもの頃、先生たちはいつも頭がいい子だと言ってくれたけれど、実際にはできが悪かったからみんなぼくに失望していると思っていた。大人になってから20年経ってもそれが重荷だった。先生たちは間違っていたんだ!ということを証明するために何事にも失敗してみせた。でもある一定の期間が過ぎると、自分は失敗しすぎたと気づいた。今度は逆に自分の価値を見つけ出さなければと思い、そこで初めて書き始めたんです。

作家としてのこれまでのキャリアはいかがでしたか?

2010年にスペインの文学賞を受賞しましたが、実際は2012年に「放棄の三連祭壇画(Tríptico del Desamparo)」が、ホセ・エウスタシオ・リベラ国際文学ビエンナーレで受賞され、コロンビアとスペインで出版されてから作家としてのキャリアが始まりました。また、幸せなことに、この本は昨年オデリアという素晴らしい出版社によりアルゼンチンでも出版されたのです。さらに2016年にはマドリッドの出版社が「溢れた時間(Las Horas Derramadas)」という小説も出版してくれました。
ブエノスアイレスでは、ボゴタ発の「本と手紙(Libros & Letras)」という雑誌の担当ライターでもあり、作家、編集者、本屋とのインタビュー連載を書いています。数か月前、それらの25のインタビューが「ブエノスアイレスの一杯の珈琲(Un café en Buenos Aires)」という一冊の本にまとめられ、コロンビアのウナウラから出版されました。他にも、近々日の目を浴びることになる本が数冊控えています。日本では、どこで出版するのがいいでしょうかね?

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