DOTMOV TOKYO 2007

HAPPENING

映像と音楽。ここからまた新しい何かが生まれる。

DOTMOV TOKYO 2007

11月1日から11月30日まで全国4都市で開催された「DOTMOV FESTIVAL」。東京では、中目黒にある本とカフェのスペースCOMBINEカフェで一ヶ月間上映された。会期中は、協力イベントとしてアサヒ・アート・スクエアにおいて、Mjucとしてしられる高橋英明(mjuc)企画・構成によるメディア・オペラ「アワーブリンク」の上演や、DOTMOV FESTIVAL東京会場となっているCOMBINEカフェでもスペシャルイベントが行われた。

DOTMOV TOKYO 2007


東京の下町に突如現れた異空間アサヒ・アート・スクエアで11月17日、18日の日程で2日間開催された「アワーブリンク」。会場は一般的なオペラという形式とは異なり舞台は存在せず、あるのはサウンドとビジュアルを担当する出演者のステージと、ホールの天井から吊るされた6面のマルチプロジェクションスクリーンとLED、そしてスピーカーだけだ。

約一時間半の上演時間中、サウンドとビジュアルによる演出が観客を作品世界へと引き込み、導入部分では、真っ暗な会場に抽象的な音の断片と時々明滅するLEDが意識の深層部分を観るものに感じさせ、後半部分ではマルチプロジェクションスクリーンによるヴィジュアルとそれまでの断片的なサウンドがより楽曲として構成されより明確なイメージへ変貌していく。メディア・オペラという新しい形式に意欲的に挑戦した高橋氏に今回の試みについて話を聞いた。

DOTMOV TOKYO 2007

まず最初にメディア・オペラ”アワー・ブリンク”のコンセプトや内容について教えてください。

アワーブリンクでは「他者に対する想像力」や「リアリティーへの覚醒」と言ったことをテーマとしていました。現実でも起きていながら、あまり意識していないことを短い時間に凝縮できたらということをコンセプトとしていました。

なぜ、今回メディア・オペラという形式を選んだのでしょうか?

今までも映像を使ったライブは数多くやってきていたのですが、それらはどちらかというと抽象的な表現が主体でしたが、今回は表現したいものにもっとテーマ性があり、何か総合的な見せ方が必要なんではないかと言う気持ちがありました。そういう点からスタートしたので、形式として選んだわけではなく、むしろそういったものをなんと呼べばいいのかっていう状況でした(笑)。実は“オペラ”という呼び方をしてしまうと、どうしても古典的なオペラとしてのイメージが強すぎて、見る側が”オペラ”と言う言葉に引きずられはしないかと少々抵抗もあったんですが、あるテーマを背景にもった総合芸術的なものとしてはやはりオペラと呼んでよいのかなと。

また、オペラというと、台詞や歌が物語を構成しますが、これらの要素を極力抑えた理由は何でしょうか?

台詞を全く使わなかった一番の理由は見る側の思考を言葉で縛らずに自由にしておきたかったということがあります。というのもこのアワーブリンクはもちろんテーマはありますが、その中にストーリーがあるのではなく、それは見ている側にあるものを引き出すトリガーとしての役目として考えていました。

作品の印象として非常に抽象的で、作品から個々人が様々な意味を読み取れると思ったのですが、どういった意図でこのような構成にしたのですか?

まさにその部分がこの作品の中で一番大切だと思っていました。個々人の中に蓄積されている記憶や、日頃あまり意識せずに考えていることなどが結びついて、この作品のを見ている間にそれらが意識層に立ち上ってくれればと。

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特に映像については非常に断片的な印象を受けました。途中、スクリーンに映し出される様々な人種の子供たちや各国のニュース映像の断片が象徴的でしたが、一体何を意味しているのでしょうか?

断片的なものを並列することで見えてくるもの、と言うことを考えていました。今の社会、世界の中で、もちろん、国や地域によって状況は違うし、考え方や生き方も違ってくるわけですが、それでもやはり共通項なり、共感できる部分てあるんだと思うんです。特に子供時代ってその部分が多いのではないかと思って、様々な子供達の無邪気に遊んでいる情景を映し出しました。

それに対して、各国のニュース映像って言うのは、情報のつたわりかた、受け取り方の問題って言うのが大きいように思っているので、いったんそれを引きの状態で俯瞰して見たらどうだろうかと言う狙いがあって。実はあのシーンでは映像の方は膨大な量のニュースソースをつかっていますが、音の方では全て使うのではなく、聞こえるものと聞こえないものがある、かなりフィルターにかけた状態になっています。実際の社会の中でもマスメディア側の意図的なフィルターや個々人の無意識のフィルターがあるわけですが、その状況を意図的に作り出した形で置いてみようという発想でした。

また、現在われわれが抱えるコミュニケーションや情報に対する問題などが作中に込められていたと思いますが、具体的な例として幾つかあげていただけますか。

情報という点で言うと、途中本当の戦場のシーンとフェイクの(ゲームの)戦場のシーンが同列に置かれていくところがあったのですが、おそらくパッと見ではどちらも本当のリアルな映像に見えたと思うんです。まぁそれはあえて仕掛けとして置いたのですが、実際いま世界で起きていることって、情報としてはたくさん入ってくるんですけれど、それは情報の提供のされ方でいくらでも違った見え方がしてしまう危険性はあるわけですよね。そこを常に疑ってかかっていないと本当のところどうなのかというのを見えなくなってしまうという意味合いを含めていました。

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こういった問題を音楽やアートで表現することにつて、作家としてどういったアプローチをとっていますか?

本来、音楽ってたとえどんなに作り手が具体的な問題を音楽の中に盛込んだとしても、抽象化されてしまうものだと思っているんです。むしろその抽象性が音楽の特徴でもあり。良さだとも思うんです。なので、基本的には音楽の中で今回のような社会問題を表現するということは今までほとんどしてきていません。ただ、ここ最近、自分の中でこういった問題に対して一度、きちっと見据えて見たいという欲求が生まれていたので、その結果としての作品でした。

音楽をはじめ、音響技術、映像、デバイス・テクノロジーなど様々な要素がこの作品を構成しており、それぞれの領域を結んで一つの作品に作り上げる共同作業でのエピソードなどはありますか?

全体を統合していくにあたり、最初に全部が見えているわけではなく、たとえば、今回天井に16個のスーパーツイーターを吊ったんですが、これなんかもPAの阿尾氏がぽろっと『知り合いのPA会社にスーパーツイーターが50個くらいゴロゴロしているよ』って言うのが発端で、、。それならば是非それを使おうということになって、(実際は重さと分岐の関係で50個は無理で、16個になったんですが)じゃぁその16個のスーパーツイータからニュースソースの音声をパラで出していったら面白いんじゃないか、、とか。そういう感じで、舞台環境から逆に生まれていったアイディアもたくさんありました。ただ、実際に作り上げていく段階ではそれぞれが複雑にリンクし合っていたので、なかなかどこから手をつけたらいいのかって言う感じで、はじめの何ヶ月間かは具体的な作業に入れずほぼ話し合いだけで進んでいましたね。

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フリーボーカリゼーションの福岡ユタカ氏と8人編成のストリングスアンサンブルが印象的でしたが、この二つの生演奏の構成上意図したものは何でしょうか?

この二つがというよりか、前半を占めているラップトップから繰り出されるノイズを中心としたサウンドに対しての意味合いが強いですね。特に福岡さんの声はその存在感がとても強いので、シャーマン的な意味合いや、プリミティブな祈りに近いものを託した部分がありました。ストリングスもやはり前半のノイズに対して、有機的な存在でもあったり、全体を包み込む包容力であったり、という側面を意識した構成でした。

LEDライトやその他、音と映像を演出する上で様々なプログラミングを使用していますが、具体的にどのような技術を使っていますか?

LEDの方は外部信号との連携が可能なDMX信号制御用アプリケーションでコントロールしていたんですが、シーン併せて作ったLEDの制御パターンを組んでmidiトリガーでタイミングを取っていました。映像の方はMax/MSPを使ってリアルタイムに処理していました。(LED、映像ともに、基本的な部分はmidiでのシンクロを取っていたんですが、実際の公演ではシンクロのトラブルも起きたりしいたので、実はかなり松尾さんのマニュアルでのコント−ロールでした。)音に関しては実際のスピーカーの配置による部分が大きいのですが、福岡さんの声やストリングスの音に関してはUweにリアルタイムエフェクト処理をしてもらっていて倍音の部分だけ音の定位移動させたりなどしていました。

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今回の上演について、自身の手ごたえとしてはいかがでしょうか?

今回の反応というのは今までいろいろやって来た中では一番、見えづらいというか、まぁいろんな部分で賛否両論あったわけですけれど、ただ自分の中では割としっかりとした手応えはありました。きっとこの作品見る人の状況や視点によって大きく見え方が変わる作品であったんだと思います。決してわかりやすい構造はしていないので、表層を追ってしまうと何のことだかわからないものに映っていたのかもしれないですし。あとは全体(プロデュース的立場で)総括していくということでは随分思うことはありましたね。まだまだ経験を積んでいかないといけないなと。

また、今後また同じような取り組みは行っていきますか?

メディアオペラという形でやるかどうかはわかりませんが、やはり多くの人が関わって作り上げる面白さって、一人で作る時とは違って、なかなか自分の青写真通りには行かない部分だと思うんです(笑)。でもそこで自分だけでは引き出せない何かを引っ張り出せる可能性がたくさんあるのが面白いとおもっています。そういう意味ではこういうようなプロジェクトは今後もやっていきたいですね。

音楽家として新しい領域に挑戦する高橋英明氏(mjuc)に今後も注目していきたい。

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DOTMOV TOKYOスペシャル・イベントでは、DOTMOV FESTIVALに出展し優秀作品として上映された「WITH RAIN」の作家でもあり、各国の映像系フェスティバルに招聘され高い評価を受ける土屋多加史と、12Kからのアルバムも記憶に新しいMOSKITOOによるオーディオ・ビジュアル・パフォーマンスと、tngrmレーベルを立ち上げアルバムをリリースしたばかりのTakafumi Himuro、そして、前述の高橋英明氏によるメディア・オペラ「アワーブリンク」へもサウンド・プロッセッシングで参加しているドイツの電子音楽家UWE HAASによるライブが行われた。

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3組のアーチストはそれぞれ三者三様のライブ・パフォーマンスおこない、ドイツの電子音楽家UWE HAASのミニマル・ダブともいうべきムダをそぎ落とした電子音のポリリズミックな展開のライブで始まったイベントは、途中DOTMOV FESTIVALの出展作品の上映をはさみ、tngrmのTakafumi Himuroによるブレイクビーツ、そして、土屋多加史の抽象的だが色彩豊かで有機的なビジュアルと、MOSKITOOのエレクトロニクスとファンタジー(童話的)、狂気が絶妙なバランスであるいみ異様な世界観を構築したオーディオ・ビジュアル・ライブで幕を閉じた。

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スペシャル・イベントは平日夜の開催にもかかわらず、多くの人が会場へ足を運び、けして広くないスペースを埋めていた。その光景は、改めて映像と音楽への関心の高さとともに、イベント自体が発表の場だけでなく人と人を繋ぐ結節点の役割を持ち、ここからまた新しい何かが生まれる契機となる可能性を発見した。開催期間中だけにとどまらず今後も続いていく運動体として進行する、DOTMOVという世界的にみても数少ない、全て世界各国から公募された作品のなかから選出し複数の地域で同時上映するという広く開かれたフェスティバルだった。

DOTMOV TOKYO 2007
会期:2007年11月1日〜30日
会場:COMBINE 
主催:Shift / Shift Magazine

アワーブリンク
日時:2007年11月17、18日
会場:アサヒアートスクエア
主催:ading

Text: Yasuharu Motomiya
Photos: Aki Goto

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