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アルテピアッツァ美唄

PLACEText: Tim Engel

安田 侃(やすだ かん)は、1945年、北海道美唄市に生まれた。高校、大学期間を北海道で過ごす。熱狂的な野球少年であった。1969年、24歳にして、安田侃は東京芸術大学大学院彫刻科を卒業し、翌年の1970年、イタリア政府招へい留学生としてイタリアへ渡る。ローマ・アカデミア美術学校に入学し、彫刻教授のぺリクリ・ファッツィーニ氏に師事。(1913〜1987年)その後、フローレンスから80キロ、大理石の産地として知られるカラーラの側、北イタリアのピエトラサンタにアトリエを構えた。ローマの人々が大理石を見つけてから2000年もの間、カラーラは世界で最も優れた大理石を生み続けている。ミケランジェロも、その石に彫刻を刻んだ。安田侃は白い大理石のスムーズな感触に魅せられ、またそれは彼の故郷、美唄に降る雪を想わせた。彼は、このとても固くなめらかに輝く白い石の虜になった。

安田侃は世界中で展覧会を開いてきた。彼の彫刻はイタリア、フランス、イギリス、日本で公開されている。札幌市では、札幌駅入口中央のスペース、アートホール「キタラ」の正面、そして北海道立近代美術館にて見る事ができる。

安田侃の彫刻公園、美唄に位置するアルテ・ピアッツァ美唄へ行くために、9月25日日曜日の朝、僕は美唄行きの電車に乗り、1時間半程かけて進む。美唄駅につくと、バスに乗り換えなければならない。その後15分程バスに揺られると、公園の入口につく。その日は良く晴れていて、アウトドアのアートスペースを見てまわるには完璧だった。公園に足を踏み入れ最初に目に入ったものは、緑の草地の中央に置かれた白い大理石のブロックだ。近づくと、一方の面が地面に沈んでいて、もう一方がまるで楽園に伸びているようだった。表面は粗く、磨かれてはいない。他の彫刻の中には、思わず触れたくなる程なめらかな表面をしたものがあった。

一般的に安田侃の彫刻は、アートに触れてはいけないという美術館内の白く整った部屋に向いてはいない。彼のアートは、自然、子供や若者、お年寄りに至るまでの人々に向けられている。石の深い声を感じるには、乗って遊び、触れてみなければならない。白い大理石は、けだるさとは無縁に地上を軽々と飛んでいるかのよう。また、ブロンズのアート作品は、暗い茶色の地の一部であるかのように見えた。

僕は、安田侃に関してあまり知識も得ずにこの公園を訪れた。しかし、彼の彫刻には強烈な印象を受けた。後に、彼に関するテキストを読み、彼の故郷であるこの美唄がとても暗い過去を持つ事を知る。第二次世界大戦中、沢山の中国人や韓国人が地元の炭坑で働かされていた。その頃、炭坑は “死のキャンプ” と呼ばれていた。多くの労働者達が毎日、栄養失調や飢え、逃亡を防ぐための暴力に耐えていたのである。戦争が終わった後も、多くの人が炭坑の深い地下で命を失っていた。「地下に残されたそんな全ての魂に、空気を送ってあげることができたら」と、安田侃はこの公園建設中に述べている。

僕は、これがアルテ・ピアッツァ美唄にある安田侃の作品を理解するのに、重要なバックグラウンドであると思う。そこで初めて、彼の作品のメインテーマの一つ「生と死」について感じることができる。街の歴史を知れば、安田侃の作品も違って見えてくるだろう。彼の彫刻のほとんどが、地と繋がっている、もしくは息をする地球の上に立っている。まるで炭坑の闇の中にいる労働者たちが、光と空気を求めているかのように。

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