パーマネント・フード

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パーマネント・フード」は、イタリアのアーチストであるマウリツィオ・カタランとマッキャン・エリクソン・ミラノのアートディレクターであるパオラ・マンフリンの編集による、6ヶ月毎に発行される雑誌。毎号、世界中の定期刊行物からそのまま正確に抜き取った、遊び心のある、時にはショッキングで皮肉的なイメージの抜粋で構成されている。飛行機がピクニック場に突撃する直前の瞬間や、スキンヘッド族の集会の盗撮や、のどに指を突っ込んで吐いている少女や、あるいはレイモンド・ぺティボンのドローイングなどは、最新号をぱらぱらめくると遭遇する、ほんの一例である。

イメージの視覚的な力強さや、雑多な異なった文脈を鮮明に並置させる手法などは逆説的な意味を帯び、しばしばそれは読者をびっくりさせる。あるときは加工されていない自然のイメージだったり、またあるときは一続きの場面のなかで起こるドラマチックな、あるいは皮肉的な緊張感であったりする。

「パーマネント・フード」には編集会議もなければオフィスもないが、ミラノで刊行されているもっとも面白い雑誌のひとつだと認識されている。それどころか、編集界のビジュアル・トレンドを知るための優れた道具でもある。私はパオラとランチをし、「パーマネント・フード(以下P.F.) 」の過去と未来についていくつかの質問をしてみた。

P.F.で儲けている人は、誰もいません。それはいわば編集における一種のウィルスのようなもので、イタリアを除いた世界中の国々で刊行されています。神のみぞその訳を知っています。

ええ、私はそれをアマゾンドットコムやアマゾンUK、それからロンドンのマグマや、サンタモニカの本屋、そしてあちこちの美術館のブックストアで見たことがあります。

ええ、東京やニューヨーク、ロンドン、他にもたくさんの国々で見つけられますよ。

雑誌にとって現実的な制作予算がないというのは驚くべきことで、まるでほとんどホームメイドのようですね。一体どのようにしてP.F.を着想したのか説明していただけませんか?

そうですね、まず最初にマウリツィオ自身に、何か個人的に編集できるような独自の雑誌をつくりたいという気持ちがあったということがはじまりだと思います。はじめそれはあらゆるプロジェクトの背後にあるアイディアと密接した、今とは異なったタイプの雑誌で、ドミニク・ゴンザレス・フォースターと共に着想しました。彼らは自分たちが親密に感じるイメージ、たとえば机の後ろにかかっているイメージや、雑誌の切りぬきのスクラップなどのようなイメージを緩和し委託するために、たくさんの友達やアーチストを呼びました。私は90年代初期からすでにいくつかの彼のアートプロジェクトを手伝っていて、そしてそのままついにP.F.の共同編集をはじめました。
第3号のとき、私の介在はより顕著になり、P.F.はさらにアート的に演出され、広告の中にみられるイメージの効用やインパクトに近づきました。このことは、緩和しないでシンプルにそのままイメージを託すために人を集めるという方向に導きました。しかしP.F.は成長してしまい、そのとき既に一冊全部を埋めるだけの十分なイメージがないということを認識したのです(いまでは4色刷りの192ページですが、始めは白黒でほとんどファン雑誌のような形態でした)だから3号から4号にかけて、私たちは個人的な範囲でイメージを収集しようと決めたのです。

ヴォーグから切り取ったイメージに基づいている特別号について教えてください。

ヴォーグを基にして特別版を編集しようというアイディアは、マリウッチア・カサディオ(イタリア・ヴォーグのエディター)から来ました。P.F.は、その効果が持続する期間内で展開されるプロジェクトで、例えば、ある号のためのイメージを選びつつ5ヶ月以上過ごしたときには、何らかの方法によって、今生きているこの歴史的瞬間を記述している連鎖の中に陥ってしまっていることを認識するでしょう。
私たちが今日抱えている問題は、主題とは不釣合いな強度を持った描写の、長い、連続したイメージによってつくられた雑誌がたくさんあるということです。そんなわけで、私たちは本の表層だけをかすみ取りはじめるのです、なぜなら、少なくとも他の雑誌に対しては、その方が簡単だからです。

今までに、テキストによるページで構成されたP.F.を考えたことはありますか?

私達はたくさんの異なったアイディアを今までに持っていました。私達はヴォーグとのプロジェクトをとても面白いものだと思いましたし、過去に似たような経験を「デイズド&コンフューズド」ともしています。それらの雑誌からページを抜粋するのは読み手ではありませんが、彼らは読み手にそうするように問いかけます。このことが、私達を特別号シリーズの編集に取りかからせるのです。
今、私達はコレクターであるヤコブ・ボロティンと一緒に、イタリアやフランスの大衆的なイラスト雑誌から20年以上にわたって集めた記事—ゴシップなど—による次の特別号に取りかかっています。もし私達がテキストによるP.F.をつくることがあるとしたら、そのテキストはビジュアルテキストになると思いますね。

それは、エミリオ・ラ・イスグロ(イタリアのアーティスト)のような?

いいえ、私が言おうとしているのは、それが人々を喚起させるようなものでなければならないということです。P.F.の本質はインパクトを残すことで、そうでなければただの抜粋記事の羅列で終わってしまいます。わかると思いますが、P.F.はイメージによってできているある種のイラスト雑誌なので、もしテキストを選ぶとしたら、それは特別にレイアウトされたページのビジュアル・テキストか、あるいは視覚的に喚起させる内容のテキストでなければならないでしょう。

どのようにして、次号の方向性を決めるのですか?

それに関しては、いささかナイーヴだと思います。ある号をつくり終えた直後の私達はとても充たされていてアドレナリンもたくさん出ているので、すぐにでも次号に取りかかりたくなります。だから程なく、視覚的効果を持ったイメージに対する私の感性と、学術的で皮肉的な且つ鋭い画に対するマウリツィオの趣向を合わせて、私達はほとんどランダムにイメージの収集に取りかかります。
そして十分なイメージが出来上がったときに、いよいよ私達は次号の方向性を決めるか、あるいは方向性を理解しようとするのです。もし、そうこうするうちに9.11の悲劇ような出来事が起こったら、その時はやりかけの号を放棄して、すぐに最新の出来事に基づいた新たな号に取りかかります。

少なくともメディアの観点から、9.11の他にも、戦争やアメリカのイラク占領に関するあらゆるニュースのような日常の出来事になってしまっている悲劇に対して、P.F.はどのように関与していくのでしょうか?

9.11の悲劇は、強烈で悲惨なインパクトのある映像によって、必要以上にやかましい出来事になっています。戦争は、悲しいことに日常的な現実となっていますので、私達が戦争に対して持っている認識は、ツイン・タワーが地面に倒れるほどのインパクトではありません。

数年前、性的な表現が特に効果的な時があって、それはほとんどのファッション雑誌のページ内で、大きな役割を果たしていました。そしてその時、私達はたくさんの性的なイメージによるP.F.を発行しようと決めました。時々、私は似たような刊行物が多すぎると思います。でもそれは、日常の空気の中で確かに認識していることが反映されているだけなのです。

私は、幸福や喜びや、晴れやかさや輝きを扱った号をつくりたいとずっと思っているのですが、マウリツィオと私のやり方は違いますし、私が考える限りでは彼がプロジェクトリーダーです。そして彼のセレクト方法と私のとはちがうので、同じトピックに対して最終的には2つの異なった観点を持ってしまうでしょう。

P.F.は、最低限の表現による、的を得た雑誌であり続けようとしています。私達は、今生きているこの世の中の断面を、ただそのまま見せようとしているのではありません。なぜなら、それらは既にメディアを通じてさらに明白になっているからです。

P.F.は、一体どこに向かっているのでしょうか?

編集というものの現実が向かうところか、あるいは単純に現実が向かうところですね。それ以上でもそれ以下でもありません。

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Text: Roberto Bagatti from Bacteria
Translation: Naoko Fukushi

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