JODI

PEOPLE

JODIは、スペインのバルセロナを拠点に活動しているDIRKと、JOANの二人組のアーティストである。彼等の作品はインターネットでアクセスしてすぐに見る事ができるが、インスタレーションとも取れる過激な作品は見ているマシンをしばしばクラッシュに追い込むらしい。
インターネット以外の最近の活動として、GASBOOK vol.5 に収録した作品も立ちあげた瞬間にマシンがクラッシュしたかと思うような、とても刺激的なものだった。これらの作品の数々は、ルールにのっとったインターネットの世界で、そのフィールドをフルに感じながらノイズミュージックと似た感覚や意味を視覚的に見るものに与える。それは画一化されようとするデジタル社会に対する警告とも受け取れる。
話題にもなった本の形をした展覧会「CREAM」にインタ-ネットのアーティストとして唯一参加するなど活動が注目されている彼等から今回の来日に際して直接連絡があり、インタビューを行うこととなった。


まず自己紹介からお願いします。

DIRK:3年前にJODIのサイトを始めました。そのころのウェブはすべてがグレイだったんです。グレイというのはブラウザーにバックグランドカラーをサポートする機能がなかった。だからそのころのウェブではあまりグラフィック作品というものがなかった。
初期の作品はもっとカラフルで、最初のプロジェクトなんか、すごく明るい色を使ってました。
[www.jodi.org/100/hqx] [www.jodi.org/location]
それで、その頃ちょうどシリコンバレー、サンホゼの研究室にいて、毎週のようにそういったテクノロジーの発達、進化するところを目の当たりにしてきたんです。[www.jodi.org/beta]

1995年に始めたのですか?初めてJODIの作品を観たのは3年前かそれ以前に出た『タイミング・ゼロ』という雑誌でしたが。

JOAN:彼は3年前って言ってるけど、たぶん4年前だったと思います。

では、インターネットで活動を始める以前はどういった活動をされていたのですか?

JOAN:私は写真とコンピュータではディレクターや3Dモデリングをやっていました。DIRはビデオです。でもその頃は一緒に何かをやることはありませんでした。
その頃お互いは知っていたんですね。

JOAN:ええ。ドメインを取得したのはお互いの作品のためです。コンピュータを使用して活動しているわけですし、ダイレクトに作品を見たり、見せたりできる最高の場なんです。一々印刷したりビデオに録画しなくてもいいわけですから。

DIRK:インターネットは唯一アクセスできるマスメディアだと思います。写真や雑誌、印刷物、ラジオやテレビなどでは機械があって作品を作りだしていますが、チャンネルとしてそれが流通されることはなかった。雑誌もラジオ番組もテレビのチャンネルも誰か個人として成り立つものではないです。でもネットではウェブサイトがそうなり得るのです。しかもコストを掛けずに。
ビデオアートがいい例です。現在ヨーロッパではたくさんのネットアートと呼ばれるような展覧会が行われていて、それは80年代のビデオアートが盛んだったのと同じ感じです。多少違いはありますが、もともとビデオアートは実験TVであって、ドイツそしてニューヨークで活躍していたナム・ジュン・パイクによって創案されたものです。彼は60年、70年代ローカル局で多くの実験放送を行っていて、実験TVと呼んでいましたが、彼はテレビを道具として活動していたのだと思います。
その頃グローバルビレッジという作品があって、世界が小さな村のように、より小さく感じられた。テレビと繋がったエレクトリックビレッジみたいでね。でもテレビではもうそういったことはなくなって、それが15年後の今インターネットで起こっているのです。
そのビデオ作品を作ったアーティスト達はマスメディアには介入できない。夜中や一度きりの番組には存在できても、ずっとテレビ上に存在できないのです。ナム・ジュン・パイクやダン・グラハムのチャンネルやビデオアートのチャンネルといったものはないのです。もちろんそういったゴールを目指していることもあるでしょうけど。
アーティストの中にはアートというよりもマスメディアに吸収されてるような作品を作る人たちもいます。彼らはアートのエリート性というものに反対しているということもありますが、テレビやビデオ活動をしていたら美術館ではなくて、電波を媒体として(又は場として)いきたいのです。それで、そういった作品はアーカイブに存在しているから見ることが可能です。
例えばナム・ジュン・パイクのMTV2(MTVxMTV)ですが、これは高速MTVという感じですごくハイパーなんです。MTVよりも断然に良くて、色、音ともに力強く、そして美しいんです。
コンピュータを使用するというのは、コンピュータの流通システムにのっていこうとすることなんです。それはコンピュータを孤立した離れた環境、又は「デザイン」や「アート」という名の環境に葬ることではないのです。マスメディアの世界流通へのアクセスのあるユニークな場なんです。

今までの歴史を振り返ると、ファックス、電話、TVと道具の進化と共にコミニケーションそのものが変化を起し、結果的に社会が変わってきた事実があります。そして、21世紀を迎えようとする今、インターネットなどのデジタルネットッワークによって、60、70、80年代のアーティストの理想的環境が実現されて来ていますが、そのことについてどう考えていますか?

DIRK:直接的な答えではないかもしれませんが、3、4年前、インターネット上にたくさんのオルタナティブグループがいて、デザイナー、アーティストや若い子達がウェブサイトを作っていました。そのためにサーバーのスペースを借りますよね、今では20ドルくらいで借りれますけど。でも、プロバイダー企業の状況というものはとても危ういもので、今ではすでにそういった企業が例えば、ポルノはダメとか、ハッキングはダメとかウィルスの配布はダメというように規制しています。あれもダメ、これもダメという風に誰かがそこに付加していけるわけです。そういう風に、将来、プロバイダー企業の状況に変化が伴うとともに、ネット上の状況も同じで、例えば、オルタナティブな人の活動の場がなくなりかねない。サーバーのレンタル料金の高価格設定によっても、活動が難しくなる。
例えば、今の倍以上の料金になったときに、たくさんの商業的ではないサイトを手がけるクリエイティブな人がネットに存在しなくなる可能性がある。そういう意味でも、サーバーがどう機能しているのかを習得することが大事です。基本的にサーバーは放送の場では核にあたる部分、ラジオでいうところの送信機なんです。今、安くレンタルできても、何か状況が変化すれば、商業的なものや成果のあるものだけが残っていく。ネットカルチャーやネットアートに関わっている人は特に、このことを意識していくべきです。
美術館ですばらしい展覧会を開いても、ネットの将来とか本質はどうでもいい。そういう状況、ネットアートの過度期が10年は続きますよ。いつもそういう状況があって、ビデオアートの時も同じです。展覧会を開くだけで、ビデオアートのテレビチャンネル制作のことなんてどうでもいいわけです。でももうそれもすたれてしまった。こういった状況をネットに引き起こしてはダメなんですよ。だからアーティストはサーバーのシステムをすこしでも把握しておかなくてはならない。このことを意識して活動しているアーティストでは、ニューヨークの Paul Garrin のプロジェクト「Namespace」がいい例です。

もちろんそういった規制によりアートや、コミニケーションのあり方は変わってくると思いますが、現在のインターネットや社会の変化は、作り手側と受けて側も含めて言葉を越えたイメージのコミニケーションにシフトしてきているように感じてますが。

JOAN:でも特にインターネットは言語ベースだと思うんです。

DIRK:コードとかね。

JOA:そう。Emailだって言語だし、HTML等もすべて言語ベースです。そういった意味ではコミュニケーションに変化はないと思うのです。でも他のコミュニケーションということではネットだけに限らず、写真や広告などの画像があって、画像だってワールドワイドだし、たいがいの場合は言葉は介さないですよね。

JODIの作品は、そういった「言語ベース」の現在の社会をある意味、よく反映していると思います。コンピュータネットワークが普及しているにも関わらず、現在の社会では音楽でもグラフィックでも言葉に置き換えられているわけですが、JODIの作品は言葉を使わないで見たままを感じさせる、もっとストレートなものだと思うのですが。

DIRK:長い間、私たちの作品は「ノー・コンテンツ」「ノー・ストーリー」が、ガイドラインとなってます。

JOAN:アートに関していえば、説明がないのはよくあることです。例えば、ペインティングとか見ると、何かを伝えているかもしれないですが、そこには言語とか言葉はないですよね。それは画像の歴史だと思うのです。私たちはそこのところに取り組んでいるのです。私たちはコンピュータを使ってるから、そこから画像がダイレクトに展開される。それはある種、唯物的なシステムです。

DIRK:「ノー・コンテンツ」「ノー・ストーリー」の他に「マテリアル・デジタル」ということもあって、デジタルっていうのはコンピュータにより作られる、なんか抽象的な感じのするものです。私たちがプログラミング等を多くやっているからかもしれませんが、デザイナーも同じような感覚を持っていると思います。デジタル作品にも、クリーンな感じとか質感みたいなものがある。すごく物質的です。エレクトリック・イメージもそう、色や質を作り出せるのです。

JOAN:歴史ということでは、それは3年前とかそんなに新しいことではなくて、すごく古い。特にゲーム等のコンピューター・イメージの歴史とか。初期のゲームやコンピューター・ドローイングとかね。

DIRK:たぶん今日本にいるから、感じることも多いんだと思うけど。一般的にエレクトリックイメージ、特にゲームの進化ってことがあって、テクノロジーがいかにしてそういうものを常に作りだしてきたか、そしてそれが今ある確実な方向に向かっている。
例えば、ハイパーリアリズムの勢いを感じると思うけど、ゲームや3Dをいっそう現実に近づけたいという動きがある。コンピューターやゲームがもっとパワフルになりつつある方向性です。コンピューターチップの性能を引き立てるかのように、もっとハイパーリアル的なものを作りだしているんです。

JOAN:でも、たまごっちのようなものもある。プレイステーションやドリームキャストに接続するような、携帯式のゲームとか。そこでは粗いピクセル絵があって、ある意味すごくプリミティブな感じですよね。でもこれは何にもないところから生まれてきたわけではなくて、段々と進化してきた。電子メール等とミックスされてたりね。
電話線を通して話し言葉ではないインフォメーションを送る事はすごく古くて、テレグラムがそうです。電子メールやHTMLも似ていて、それはシグナルみたいなものなんです。声でもムービーでもないし、直線的なものではない。あちこちにテキストや画像があって、それは電話線やケーブルによって信号が送られているのです。電話で会話するシステムよりもすごく古いものですよ。

DIRK:HTMLのページが転送されるときわかると思いますが、画像とか重いページはゆっくりと立ち上がりますよね。まるで信号が段々と画像になっていくみたいに。

そういった話しが、JODIのインタビュー記事やプロフィールがあまり見受けられないことに関係しているのですか?

DIRK:ホットワイアードのウェブモンキーに記事がありますよ。日本語だから内容はよくわからないけれど(笑)。でも確かに説明書きみたいなものはあまり好きではないです。夏目さんが言ってることは当たってるかもしれません。テキストがその作品の持つ感じを破壊してしまう恐れがあるし、観るものにある定まった方向性を決定づけてしまうこともある。それは特にアーティストやアートの歴史に言えることで、批評やそういう言葉によって作品自体やその意味をある方向性に操作してしまうことを常に考えていくということがある。言葉は魔法の方式みたいなものだからね。だから詩人とかもいるわけだし。

なぜ今回このインタビューを受けてくれたのでしょうか?GASBOOK VOL5の時にプロフィールを頼んだときもネット上のJODI に対するたくさんの説明書きがものすごい量で届きましたが。

JOAN:でもヨーロッパではインタビュー受けたことありますよ。RHIZOMEのアーカイブで検索したら見つかると思います。
インタビューを全然受けつけていないことはなくて、先月なんて、スペインのサテライトテレビにも出演したんですよ。

DIRK:それに文章でインタビューされるよりも、対話のほうがずっとおもしろい。たまに穴埋め式インタビューがあったりするけど、それは本当に最悪。質問リストが送られてくるんだけど、なんだか自分自身にインタビュー行動をしているようで、まるで自己精神分析みたいだし(笑)。

話しは変わりますが、日本へ来た目的は?

DIRK:日本には友人がいるし、GASBOOKへ参加したということもあって、デジタルワンダーランドである日本へは来たいと思ってました。ゲームやソフトウェア制作などの活動をしていることもありましたし。

JOAN:あとヨーロッパで日本のこと聞きますが、それだけだとなかなか掴めないですから。ずっと日本に行きたいね、って話しはしてたんです。特に理由があるわけではないです。

ここで、インタビューが終わります。実はまだインタビューは続行していたのですが、、、僕の不手際で取材用MDディスクの2枚目は何も録音されていなかったのです。最後に彼等にGASBOOK5に参加した感想と最近の活動について聞いてみたのですが、GASBOOK5のインターフェイスにものすごく関心を示していました。
コンピュータ上のデスクトップインターフェイスをそのまま流用してたくさんのフォルダがGASBOOKのインターフェイスに存在するのが面白かったとの事、とても彼等らしい反応とも思えます。そして、最近の活動はリードでも書いたCD-ROMの制作と、「CTRL-SPACE」というタイトルの参加型インターネットゲームを制作したらしいです。このゲームは他に参加している人とコミュニケーションをとるようなもので、ゲームをするには QUAKE1(持っていなければ購入)と、このゲームをプレビュー出来るサイト(ctrl-space.c3.hu) でダウンロードできるCTRL-SPACEが必要です。これも彼等が話していた「ノー・コンテンツ」「ノー・ストーリー」「マテリアル・デジタル」に繋がる表現なのだろうと思います。
ぜひ覗いてみてください。大事な書類を閉じて、覚悟を決めて。

Interview and Text: Akira Natsume
Translation: Mariko Takei