再開館記念「不在」― トゥールーズ=ロートレックとソフィ・カル

HAPPENINGText: Alma Reyes

三菱一号館美術館は1年以上にわたる休館を経て、本年11月23日から「再開館記念「不在」― トゥールーズ=ロートレックとソフィ・カル」展を開催している。この展覧会は、開館10周年記念展として企画された「1894 Visions ルドン、ロートレック」の開催に際し、現代フランスを代表するアーティストのソフィ・カルが招聘される予定だったが、新型コロナウイルスのために中止され、今回新たな形で開催されるもの。この世界的に大流行した危機的な現象は残念ではあるが、「喪失」、「不在」、そして「存在」というテーマを抽出するにはタイムリーな機会だったのかもしれない。

ソフィ・カルは、長年にわたり、「喪失」や「不在」について考察を巡らせており、今回のロートレック展での協働にあたり、「不在」という主題を美術館側へ提案した。『人間だけが存在する。風景は添え物に過ぎないし、それ以上のものではない。』と自身が述べた言葉に象徴されるように、アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックは、生涯にわたって人間を凝視し、その心理にまで踏み込んで、「存在」それ自体に迫る作品を描き続けた。

この高名な画家の美術史における「不在」は、彼の時代にフランスの美術館が彼のポスターや絵画を軽視していたことに表れている。ロートレックの代表作が社会的に注目されるようになったのは、彼の死後1902年以降のことである。彼の存在全体を評価する契機を作ったひとりが、友人で画商でもあったモーリス・ジョワイヤンである。三菱一号館美術館はジョワイヤンから主要版画作品と版画集を譲り受けており、これらすべてとともに本展では、フランス国立図書館から借用した版画作品11点を加えた136点により、「時代の記録者」ロートレックの作品を、「不在」とその表裏の関係にある「存在」という視点から、見直すという試みとなっている。


アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック《メイ・ミルトン》1895年、リトグラフ/紙、三菱一号館美術館蔵

生前のロートレックに注目していた画家のひとりに、パブロ・ピカソがいる。ピカソはロートレックに触発されて、サーカスや貧しい人々などを主題とした。二人の巨匠の特別な関係は、本展の中でも散見される。ロートレックが亡くなった直後のオマージュとして、ピカソは、《青い部屋》(1901年、ワシントンD.C.、フィリップス・コレクション蔵)に、ポスター《メイ・ミルトン》を描き込んでいる。ミルトンはロートレックが何度も描いたムーラン・ルージュの踊り子で、平面的で単純化されたシルエットを大胆に用いたこの作品は、ロートレックのイラストレーションの特徴ともなった。


アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック《エルドラド、アリスティド・ブリュアン》1892年、リトグラフ/紙、三菱一号館美術館蔵

1つのフロアはロートレックのコレクションに充てられており、人気の高い作品も展示されている。《ムーラン・ルージュ、ラ・グーリュ》(1891年)は、ロートレックが一般に知られるようになった最初のポスターで、洗練された線で、踊り子のラ・グーリュを描いている。彼女の白い流れるようなドレスが、背景の黒い影の人物と対照をなしている。もう一人のダンサー、ヴァランタン・ル・デゾッセはグレーで前景を取り、シャープな被写界深度を作り出している。無地の構成に繊細な線で輪郭を描く力強い構図は、ロートレック独特の技法となっている。《エルドラド、アリスティド・ブリュアン》(1892年)は、歌手のアリスティド・ブリュアンに捧げられた作品で、赤いスカーフ、黒いマント、つばの広い黒い帽子で最もよく知られている。ブルジョワの家庭に生まれながら、父親の破産で苦労したブリュアンは、労働者階級の代表として、貧しい人々の苦難を歌った。ロートレックは、クラブに通ううちにそのような物語に惹かれ、作品に取り込んだ。

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