イヴ・サンローラン展 時を超えるスタイル

HAPPENINGText: Alma Reyes

1954年、17歳でパリに渡ったサンローランは、コンクールのドレス部門で入賞し、ディオールのアシスタントに抜擢される。サンローランは20歳の時、素敵な絵本「おてんばルル」(1956年)を制作した。24のストーリーから成るこの絵本は、赤いミニスカートとゴンドラ漕ぎのストローハットを身に着けた想像上のキャラクターであるルルを主人公とする物語である。この絵本は大いに関心を集め、1964年にヴォーグ誌に掲載された。


「品行方正」シャツ・ドレス、イヴ・サンローランによるクリスチャン・ディオールの1958年春夏「トラペーズ・ライン」オートクチュールコレクション © Yves Saint Laurent © Alexandre Guirkinger

若くしてメゾン・ディオールのチーフ・デザイナーを務めていた間に、サンローランは6つのコレクションを手掛け、ランウェイやホールなどでショーを開催した。1958年には22歳にして初の春夏コレクションを発表する。「トラペーズ・ライン」の「品行方正」シャツドレス(1958年)は、ウエストラインが丸みを帯び、膝上丈で品がある。ディオールが描いた強い女性像とは対照的だ。ディオールの弟子でいる間に学んだ気品と女性らしさを再構成することにより、サンローランは必然的に成功を収めることができたのだ。サンローランはディオールとのパートナーシップについて次のように語っている。『私はディオールから多くのことを学んだ。ディオールは私の想像力を刺激し、仕事に関して完全に私を信頼してくれた。彼のアイディアは私のアイディアを促し、私のアイディアも彼のアイディアを促した』。サンローランは1961年にパートナーであるピエール・ベルジェ(1930-2017年)とともに、自らのオートクチュールメゾンを立ち上げた。


ボーティング・アンサンブル ファースト・ピーコート、1962年春夏オートクチュールコレクション © Yves Saint Laurent © Alexandre Guirkinger

サンローランのアイコニックな作品の一つである「ファースト・ピーコート」(1962年)は、船乗りの作業着に着想を得たものだ。プリーツパンツを合わせ金の宝石ボタンをあしらうことで、都会的なスタイルに仕上がっている。「スカート・スーツ」(1962年)は、つば広帽とアクセントに宝石を合わせることが多いブラックスーツのアンサンブルに、細長いシルエットを採用した作品だ。「タキシード」(1970年)は、それまでは男性のワードローブだとみなされていたが、サンローランはシルエットを女性的に再解釈した。「ファースト・サファリ・ジャケット」(1968年)と「ジャンプスーツ」(1968、1975年)でも同様の再解釈が行われており、女性的な体の曲線が強調されている。


ファースト・サファリ・ジャケット、1968年春夏オートクチュールコレクション © Yves Saint Laurent © Sophie Carre

このユニセックスなアプローチは女性解放運動に火をつけ、マレーネ・ディートリッヒやグレタ・ガルボなど多くの著名人に支持された。女性のファッションに新しい自由の波を起こしたのは明らかだろう。有名な《イブニング・アンサンブル》(1984年)は必見だ。刺繍入りの絹ベルベット・ブラックジャケット。背面にはクリスタルで「YSL」のロゴが施されている。


イブニング・アンサンブル、1984年秋冬オートクチュールコレクション © Yves Saint Laurent © Nicolas Mathéus

第3章「芸術性 刺繍とフェザー」では、織工、染色、捺染、刺繍、羽毛細工、銀細工など、サンローランと職人の積極的なコラボを見ることができる。オートクチュールでは職人技術のルーツが刻まれるため、刺繍は極めて重要なものと考えられている。色付きの毛皮や、雄鶏やダチョウの羽根で飾られた衣装は豪華そのものだ。

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