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川内倫子展「照度 あめつち 影を見る」

HAPPENINGText: Yu Miyakoshi

本展覧会を一巡した時、ひとつの朝と夜を通過したような気持ちになる。そこにあるのは、星には光のあたっている面と闇の面がある、といったような全体性をはらむものではないだろうか。

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無題, シリーズ「あめつち」より, 2012 © Rinko Kawauchi

朝と夜を通過すること、陰と陽の間を行き来すること、生と死、それらのような、あらゆる光と闇をひとくくりに包括し、編んでいるもの。そこには一方方向へ流れていくという時間のとらえ方よりも、さらに大きな円還する時間の流れがあり、身体から自然、宇宙へと続く道を感じさせてくれた。

前述のオープニングトークが行われた「Light and Shadow」では、川内氏は “たんなる事実” というものを、また違ったかたちで提示している。それは東日本大震災の、被災地の風景だ。川内氏は、当初は被災地を撮る心づもりはなかったが、海外から被災地を訪れた写真家の友人のアテンドのために赴き、そこでスナップ写真を撮ることになったという。そしてはじめて被災地を訪れた時、説明しがたいショックとともに、プレートの上に立っているという事実を強烈に感じたという。その、ただ広い世界に生かされているという感覚を、オープニングトークに招かれていた小説家の朝吹真理子氏は、「むごさ」「よるべなさ」と表現した。

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無題, シリーズ「Light and Shadow」より(TRAUMARIS SPACE) © Rinko Kawauchi

展示会場には、電話ボックスほどの大きさの黒いカーテンに囲まれたブースがおかれ、観客はその中に一人づつ入り、被災地の風景を映すスライドショー見る。その時、そのフレームの中に現れ、私たちが目で追いかけてしまうのは、二羽の鳩の姿だ。その白と黒の鳩の姿に、自分たちの住む世界の二元性——たとえば白と黒、善と悪、光と影、男と女、はじまりと終わりのようなもの——を感じた、と川内氏は言う。

そのブースに入って映像を見ていた時、静かなショックを感じたのだが、それは感動とかいったものよりも、なにか普遍性のようなものを目た、という漠然とした感覚だった。

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無題, シリーズ「Light and Shadow」より(TRAUMARIS SPACE) © Rinko Kawauchi

『写真で自分の感情を表現したいというわけではなく、この世界をトレースしているだけなのです』と語る川内氏は、エモーショナルな部分にとどまらずにカメラをかまえていたかもしれない。だが、そのカメラが無機質な器械であっても、 そのフレームの中に映された世界が ”たんなる事実” であっても、私は自分がそこに映された白と黒の鳩に注視してしまうということ、生物が生物らしきもののかたちを追ってしまうことに、ショックを覚えた。

それを感動と呼べないのは、そこにある風景に、ただ単に、朝吹氏の言葉を借りれば「むごさ」があったからであり、その鳩の姿に感動や叙情といった色のついたものよりも、なにか普遍的な生命のまたたきを見た、という事実があっただけだったからだ。
また、それを川内氏のカメラがとらえた、という奇跡を感じたショックでもあった。

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