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ナオヒト・ウチヤマ

PEOPLEText: Mariko Takei

音楽制作を始めたのはいつくらいからでしょうか?

楽曲そのものを完成させた初めての経験というのは、多分17才くらい。その頃はブレイクビーツを聴いてたんですが、バンドもやってたんです。でも高校生の遊びでやるような曲制作にちょっと嫌気がさしたのがきっかけで、自分で作ろうと思うようになりました。

バンドでは何を担当してましたか?

もともとはドラムからスタートして、バンドではギターを担当してました。でももし今だにバンドを続けていたとしたら、ドラムをずっとやっていただろうなと。それは、子供の頃和太鼓を習っていたという経験があるからかもしれません。

和太鼓を習い始めたきっかけは何だったのでしょうか?

尺八が大好きなおじいちゃんが太鼓を習いに連れて行ってくれたのが始まりです。僕は盆踊りのお祭りに太鼓を見に行くのが大好きで、その頃、太鼓を叩くあの舞台の上にあがるのが僕の夢だったんです。それはおじいちゃんには言ったことはなかったんですけど、おじいちゃんがそういう僕の姿見て何か感じてくれたのか太鼓習いに連れて行ってくれました。5才くらいの時です。

その頃が始まりで、それから高校生でバンドを組んでという流れがあり、やはり音楽でずっとやっていきたいなと思ったのもそのあたりでしょうか?

もちろん音楽がこういうカタチで人生の大半を占めるものとなるなというのは強く感じてますけど、特に音楽だけでやっていくという強い思いはそんなにないです。それ以外にも沢山やりたいことは(今後も)きっとあって、それをやっていきたいと思います。音楽とずっと関わってやっていくなという感じを覚えたのは、その5才くらいのときからあったように思います。和太鼓の先生も太鼓を教えるのが生活の半分だったような人でしたし、そういう人が周りに沢山いて、そういう人を見て育ってきているから。
もちろん楽しみながら音楽やってます。このアルバムは進むにつれて内生的な方向に進んでいるような雰囲気があるけど、DJする時や家で聴くテクノにしてもドラムンベースにしても、結構陽気な音楽を聴くのが好きです。

自分で制作する音楽とDJプレイする音楽は違いますか?

そうですね、作っている時は常に一人ですから、目の前に架空のことを創造しながら作る作業の時もあるし、内生に進む作業のときもあります。でも今までは内生を掘り下げる時間が多かったので、それは今回のアルバムにも半分くらいは出ているのではないかと思うんです。制作期間も長かったですし。次はもうちょっと陽の方、明るい方に向けていきたいかな。
そういう思考の過程もシングルでは出せるかなと思っています。アルバム一枚作るとなると長い時間かかってしまうし、その間に考え方変わったり、何か違うことやりたくなってしまったりするだろうし。

音楽作りをする上で影響受けている事柄はありますか?

音楽作りにおいて他のアーティストから何か影響を受けることがあるとしたら、それを細かく言ったらキリがないですよね。たぶん今まで関わった音楽全てから少なからず、良くも悪くも、何かしら影響があったかと思うんです。でも結局影響を受けるのは、生きている中で出会う人間じゃないかと思ってます。それが結局自分を形成していて、そこから天から降りてきたようなアイディアを自分というフィルターにいかにきれいに通せるか。それが可能な自分の状態であることが大切だと思うんです。自分がなるべく綺麗な状態でいれることにかなり気を使ってます。食べ物にも気を使うし、瞑想をして自分の状態を綺麗に保っておくこともそのひとつです。

食へ気を使うというのは無農薬とかそういうことでしょうか?

基本はそうですけど、全てそうすることは難しいので、主食のご飯だけは玄米とか胚芽米にするとか気を使っています。誰の言葉だったか忘れたけど「食は体を支える、体は気を支える、気は芸を支える」っていう言葉があります。それを実践したいです。

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