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ルーブル・アブダビ

PLACEText: Mamiko Kawakami

アラブ首長国連邦の首都アブダビは、サーディヤット島(アラビア語で“夢の島”の意味)プロジェクトの完成に駒を一つ進めた。世界金融恐慌の痛手を全く受けていないかとも思われるアブダビは、5000人収容できる宿泊施設の完成を発表した。早速そこに泊ってこの大プロジェクトを見てみたいと思われた方、ちょっとお待ち下さい。この宿泊施設は観光客向けのものではなく、この夢の大プロジェクトに携わる建設労働者の寮なのだ。その労働者収容施設の規模は、翌年には2万人収容可とするというから、その数に先ず圧倒される。

そんな発表がされたのもつかの間、今度は当時フランス大統領サルコジが2009年5月26日にアブダビを訪れ、アブダビ皇太子シェイク・モハメド・ビン・ザイード ・アルナフヤンとこの砂漠のルーブルの当初予定とされた2013年の完成に向けたプロジェクト開始記念式典に出席した。その式典にはアブダビ・ルーブルをデザインした建築家ジャン・ヌーベルの姿もあった。

ルーブル・アブダビ

このプロジェクトの歴史は2007年3月に遡る。フランスとアブダビはこの2万6000m2ものルーブル・アブダビをサーディアット島巨大プロジェクトの一つとして加えると同意した。その今までに例を見ない未来的な建築デザインに加え、このクラッシックアートをテーマとする新ルーブル美術館のビジネスにも注目が集まった。30年間という「ルーブル」ブランドの使用権と本家ルーブル美術館からの美術品の借入れに、アブダビは約480億円フランスに支払う事で同意したからだ。

これに対し、ルーブル美術館をフランチャイズしている、この石油で豊かなアブダビに“支店”を作るのか、はたまたフランスは国の遺産を売り飛ばそうとしている、などと議論は起こった。フランスでは議論は更に勢いを増し、この2国間での桁外れの額の合意に反対し「美術館は売り物ではない」と主張する美術館専門員、考古学者や美術歴史学者など4650名(合計5100名)による署名活動とまで発展した。

この署名運動が影響してかどうか定かではないが、新ルーブル美術館への次なるステップは2008年1月に取られた。パリでルーブル美術館に加え、オルセー美術館ポンピドゥーセンター他多くの美術館を管理するアジャンス・フランス・ミュゼウム(AFM)がこの新ルーブル美術館の管理も行う事に同意した。

AFMチーフ・エギュゼクティブ・オフィサーのブルーノ・マクアは『新しいプロジェクトには、議論なり反応が起こるのは当然の事。』彼はルーブル・アブダビプロジェクトを大がかりなものだとし、フランスで起こっている議論に対してはむしろ前向きだ。マクアは『美術館が完成してから批判が起こるならそれなりの評価を受けたい。完成後であれば、フランス人または他国のルーブルアブダビに対する評価は協力的で熱狂的なものになると信じているからだ。』と語る。

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またマクアは、ルーブル・アブダビがルーブルのただの支店的なものになるという心配を真っ向から否定する。『ルーブル・アブダビは独特な美術館になる。』と言う。彼はこのプロジェクトは革新的なものだとする。ルーブル・アブダビはクラッシックアート美術館となるが、彼のこの美術館の定義はそれに留まらない。『ルーブル・アブダビは、最新の技術を駆使し、それぞれの異なる地域を結び、古代から現代まで異なる時代に橋をかけるような“ユニバーサル美術館”となる。』と語る。また、AFMのボードチェアマン兼ルーブル美術館経営責任者のマーク・ラドレ・ドゥ・ラシェリエルは、この約108億円のプロジェクトを「これまでに例を見ない挑戦だ」と断言する。

彼らの主な挑戦は『東と西の文化を繋ぐ:歴史的そして地理的境界線を越える事』だとラシェリエル氏は語る。ルーブル・アブダビはプリツカー賞受賞フランス人建築家ジャン・ヌーべルによってデザインされた。世界的著名な建築家ヌーベルは、20年前にデザインしたパリのアラブ世界研究所で東と西を繋ぐ大きな貢献を既に果たしている。

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